2009年6月24日 (水)
【11】都の西北 大久保山
2期生 田村 利光さん
留○生
『島田、ここか。』
『そうらしいな、天野。』
入学初日。初めてのホームルーム。全員が初顔合わせ。学ランのカラーのホックまで締め、どことなくぎこちない動きで長いすに座る。
そんな中、少し遅れて、第2ボタンまで外し、Yシャツの下のカラーTシャツまで見せて、あの2人が教室の入り口に立った。シーンとした教室にガムをくちゃくちゃ噛む音を響かせながら、かかとのつぶれた靴を引きずるように入ってくる。
そう、これが噂に聞いた留年生だ。
ただの不良でも、ただの年長者でもない、初めて遭遇する人種。彼らにしてみれば、集まり散じて人が代わった日。
私にとっては、本庄生活のスタート。
麻雀
朝からぐったりしている小川に声をかける。元気のない理由は麻雀で負けたから。いくら負けたのか、金額によっては貸してやると救いを出すと、彼は一言。
『金額の問題じゃねえんだ。あいつに負けたのが悔しい。』
思いがけないその言葉に、入ってはいけない世界を感じる。麻雀はゲームではなく勝負だった。
オールナイトフジ
ホームステイのテレビは9時か10時までだったが、こういうルールは破られるためにある。
毎週土曜深夜になると、どこからともなく食堂のテレビの前に集まり、電気もつけずに、息を殺してあの番組に見入る。
しかし、今日は何か違う空気が・・・。
恐る恐る振返ると、テレビと逆側の食堂の厨房に、ホームステイのおばさんが腕組みをして仁王立ち。
瞬時に全員ゾンビのようになってその場を立ち去った。
店屋物
ホームステイ中央の食事は、ホームステイの中では水準以上だった。しかし一時、店屋物をとる輩が増えた。そんなときの、蜂屋の一言は重みがあった。
『お前ら何様だ。どこぞのお坊ちゃまだ。ここの飯が食えなければここにはいられねえだろ。』
それから出前が届いた声は一切しなくなった。
世間の常識から隔離されたホームステイ生活。
自分たちの不文律で、かろうじてバランスをとっていた。
(ラグビー部でロックだった彼は、大学ではパンクロックにはまり、180cmの長身にモヒカンで、学内を闊歩していた。)
代返
『赤坂』『はい。』
『天野』『はい。』
『天野』『はい。』
『天野』『は。』
『練習不足』『はい。』
遅刻
始業より20分遅れて志村が入ってきた。先生に遅刻の謝罪もせずに笛田の隣へ。座りながら笛田の頭を小突く。
『なんで起こさねえんだよ。』
志村を起こしていたら笛田自身も遅刻する状況だったことは、容易に想像できる。しかし、それ(志村を見捨てること)がしてはいけない判断であったことを笛田も認める。
『ゴメン。』
謝罪はその証。
ホームステイ千代田の不文律。
部活
人生の理不尽を思い知り、体感した者が人間として成長するのであれば、本庄で私は明らかに成長した。
(少なくとも、3年間で数センチ太くなった太ももより。)
それも全て、日本で最も科学的で、かつ感情的な“しぼり”のおかげか、その“しぼり”に一緒に耐えた仲間のおかげか、それらを同時に与えてくれたラグビーというスポーツのおかげか。
いや、春のせいだ。
本庄のバイブル
結局、我らがE組の留○生島田さんは、集まり散じて人を5回も代え、成人式を本庄で迎えてしまった。
そのとき、先生にこう懇願されたらしい。
『島田、頼むから(成人したからといって)校内での喫煙と飲酒は慎んでくれ。』
番外
この他に本庄で学んだこと:唐揚一個でどんぶり2杯食べる法。キンチョールの火炎放射器的使い方。・・・。
忘れたこと:高校受験英単語。女子との話し方。・・・。
都の西北、大久保山。打ちっぱなしのコンクリートと鉄の扉でできたその要塞は、私にとっては学びの甍だった。
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