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2009年6月 3日 (水)

【8】学院の変化@17期

17期生 山本 洸さん

学院の(あるいは学院生の)どんなところが変わったとか変わらないとか、またその是非についてなど、これまでのエッセイの中だけでもすでに何度か話題にあがっています。17期の僕から見ても、今の学院生とはもう10年も離れているわけですが、やはり「変わった」と思うところが多々あります。
ただそれはこの10年に限った話ではなく、たぶん僕の10年前の先輩方が僕たちの頃を見ても「変わったな」と思うのでしょうし、今の学院生が10年後の学院を見てもきっと同じことを思うのでしょう。

学院の変化はなにも特別なものではなく、有形無形に、絶え間なく起こっているものであると思います。わかりやすいところでは、僕が入学するまでの16年の間にも、2学期制が3学期制になった、服装を学ランから私服にしたなどの話を聞きます。最近でいえば、やっぱり共学化ですよね。

僕の在学中においても、変化と呼べる場面がありました。

ひとつは、PHS・携帯電話の登場。これはもちろん学院に限ったことではないのですが、やはり僕たち当時の学院生においても、その生活スタイルに大きな影響を与えるものだったと言えると思います。
校舎から最寄りのコンビニに行くだけでも往復20分はくだらなかった環境下、一度山に登ってしまえば、世間とは隔離された、学院というひとつの別空間にいるような感覚が(少なくとも僕には)あったものですが、携帯電話によってその点だいぶ世間との距離が縮まったように感じました。
もっとも、僕の入学当時の学院ではPHSは完全に圏外、その頃はまだ高級品だった携帯電話でもB201教室の窓際まで行かないと電波が入らない状況で、巷の高校生に比べればかなり普及は遅れていましたが(笑)

また大学グラウンド側に理工の大学院の施設ができて、大学の研究活動が本庄で本格的に稼動し始めたのもその頃でした。
学院生が直接関係することは少なかったのですが、生徒会に入っていた僕は、上石神井の学院など都内の複数の高校が集まって東京で開催したある会議(テーマは忘れましたが)に、その研究施設から、モニター越しの生中継で参加したことがありました。当時としてはなかなか前衛的な試みではあったものの、別にその気になれば行けない距離でもないのに自分たちだけわざわざ遠隔で参加して(画面の向こうには女子高生もたくさん)、かえってやるせない気持ちになったようなことを思い出します。

そして何より、僕の在学期間はムーチョ先生をはじめガバチョ先生、ドラ先生など、いわゆる学院の"名物先生"が定年や様々な理由で学院を離れられた時期でもありました。このことが、何物にも代え難い大きな変化だったのかなと思ったりもします。

他にも僕が卒業してまもなく、普通の教室にもクーラーが入ったこと、スクールバスが走り始めたことなど、やはり変化は続いています。高崎線における湘南新宿ラインの運行開始に伴って快速アーバンが日中時間帯から姿を消し、学院用語の筆頭格であった「アーバンダッシュ」が成立しなくなってしまったことも、ちょっぴりショックな変化でした。余談で僕が毎日使っていた八高線松久駅は公衆トイレみたいな駅舎に建て替えられてしまいました。

とかく変化はあっても、学院がいつまでも、これまでの多くの卒業生にとってそうであったように、これから先の在校生・卒業生にとっても「ここで学べてよかった」と思える学院であって欲しいと願っています。

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