2009年7月15日 (水)
【14】本庄でのラグビーとの出会い
1期生 洲戸 渉さん
このエッセイを書くにあたって、当時、監督に毎日提出していた「ラグビー日誌」(いわば選手と監督の交換日記)を久しぶりに読んでみた。
1983年11月29日からはじまって全国大会埼玉予選3回戦(行田工業戦)の1984年10月27日までびっしりと当時の思い、監督からの叱咤・激励が記されている。
最初のページに本庄ラグビー部の精神が記載されている。
「我々がラグビーをやるのは、名誉や地位のためではない。自己をコントロールすることの素晴らしさ、そこから生まれる友情・信頼の尊さ、感動による魂まで旋律の走る喜びを味わうためだ。」
学校以外でも沢山のことを学んだ(深夜遅くまで友達の部屋で続けた恋愛や音楽談義、部活のない夏休みに10数人で高崎で見た成○映画・・・)が、本庄で出会ったラグビーは非常に多くの試練や感動を与えてくれた。
- 「公式戦前日にロウソク一つの前で行われる、塩で清めたジャージを受け取り、全部員の前で意気込みを語るジャージ授与式」
- 「当時の花園出場校の東京農大二校戦で、前半6対26の後のハーフタイムに部員全員で受けた監督からの生タックル」・・・後半は20連続得点して結果同点に
- いつも監督に言われ続けた
「戦場に行く前と思って試合前日は部屋を片付けて出て来い」
「身を殺して任をなせ」・・・自分の体を挺してマイボールをキープせよ
「努力する者に道は開かれる」
どの出来事も言葉も今でも鮮明に覚えている。
今振り返ると、宗教がかっているようにも思えるが、当時、監督は「何かをやろうと思って本当に決意したときにはとことん全てをやり尽くす、努力をし続けることが重要なのだ」と我々に真剣に向き合いながら教えてくれたのだと思う。
あれから25年が経ち、私も社会人となり、当時の自分と同じ高校生を息子に持つ身となった。「人と真剣に向き合うこと」や「努力し続けること」の難しさや重要性を日々感じる。
あらためて自分の原点である当時の本庄ラグビーを思い出して、明日からまた前向きに頑張ろうと思う。
後列左から:田中、沢渡、中川、佐伯、神澤学院長、竹鼻、鈴木、近藤、米田、原、洲戸
中列左から:竹本、松本、藤田
前列左から:高山顧問、西山、清水、名倉、斎藤、星野、森、故佐藤監督
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■コメント
洲戸さんの記事を読んで感動しました。現役ラグビー部員たちにも是非読んでもらいたいと思います。彼らも時代とともにスタイルは変わってはいるものの、それなりに頑張っています。
話は変わりますが、7/19(日)に早大本庄グラウンドで石川杯(OB戦)が行われます。お時間が許せば是非お越しください。
投稿: 現役ラグビー部員父兄H | 2009年7月16日 (木) 14時33分
現役ラグビー部員父兄H様
コメントを頂戴しありがとうございます。
昨年の石川杯に参加させていただき、ラグビーに関する基本姿勢は当時も今も変わっていないと私も感じ、非常にうれしく思いました。
戦績の方も昨年の県ベスト4など上り調子で、それ以降OB一同集まる度に非常に盛り上がっております。
今週の日曜日はあいにく別の予定が入っており、石川杯に参加できませんが、また同期みんなで本庄グランドに現役を応援にいきたいと思っております。
P.S.出張に出ていたため返信が遅くなり失礼いたしました。
投稿: 洲戸 | 2009年7月18日 (土) 08時38分