2009年7月29日 (水)
【16】成長って
8期生 小川 真司さん
先日、石川遼くんがTHEOPENから帰国した。
彼は高校一年生でありながらツアーで優勝、翌年のプロ宣言した高校二年でも1勝、そして三年生になった今年は、自らミズノオープンでの勝利により、THE OPENの出場権を獲得しあのタイガーウッズと互角に渡り合ったのである。本当にすごい高校生です。
一方の私はというと、高校一年のときに出場した関東ジュニア選手権予選のスタートホール、ティーショットを目の前の生け垣に打ち込みなんとスタートホールは13打を打ち敢え無く予選落ち。おかげで、いまだに朝イチのティーショットは緊張せずにいられない。その後、大学の体育局のゴルフ部に所属したが、目立った成績もなく(一応3・4年次はレギュラーでしたけどね)、卒業してそのまま就職。ツアープロになろうとなど、一度も思わなかった。
受験のとき、初めて訪れた大久保山、大きなグランドを見て『受かったらラグビーやって、絶対あのジャージ着ていつかは国立でヒーローになるぞ』とか意気込んでいたのを覚えている。でも結局実際はラグビーは痛そうだし、なんか留年しやすいって聞いてるし、ということで将来なにかと役に立ちそうなゴルフを選んだのである。そんな感じではじめたもんだから、これといった実績はゼロである。
ただ、なんとなく始めたゴルフ暦も20年になる。今は仕事でもいい潤滑油になり、プライベートでも思いっきり仲間と楽しんでいるが、その礎になっているのは間違いなく学院で3年間汗を流した、ゴルフ部の活動にある。
- 大久保山・・・よく山の中を走った。毎回反対側の高速沿いにあるラブホテル街を見に行ったわけではないが、そのあたりに向かってよく走った。時々迷ったりもした。3年の主将時には、部員の「球打ちましょうよ」の声も無視して、走り続けた。
- 今は本庄早稲田駅になっている貯水池周辺・・・このあたりは芝つきもよく、アプローチの練習をよくやった。そのうち飽きた部員が7Iとかでフルショットしていたが、あの頃は人も疎らだったので問題無し?
- 週に1度の岡部駅方向にある練習場・・・学院からかなりはなれたところにある練習場に週1で提携して練習させていただいていたが、球を打つよりもそこに行くまでの道のりを自転車で行くのに一苦労。おかげで体力がついた。
- 体育館のフィットネス機器・・・飛ばしたかったから(本当はムキムキの方が男前だと思ってたから)、ひたすらベンチプレス等の機器を使用。胸筋が発達し逆効果。
こんな調子だったから技術は向上しなかったが、体力はついた。おそらく本庄駅までの自転車での往復が最も効果があったかもしれないが、その後大学進学後の体育局ゴルフ部で3年次からレギュラーになれたのも、学院時代の基礎体力?作りのおかげである。
そんな学院に2年前、ホームカミングデーがあるということで卒業して約15年ぶりに訪れたときのこと。
言い様のない違和感があった。
別に校内を女子高生が闊歩していたからではなく、新幹線の駅が出来ていたからではない。ケモノ道が整備されていたからでも、下のグラウンドが無くなっていたからではない。
自分自身の変化の無さを実感したからである。正直言って衝撃を受けた。
当時の自分にとって35歳など遥か彼方の世界で、大学出て、会社勤めして、おそらく結婚してたり、子供がいたりとかで、全く違う世界のように感じていた。それが学院の環境が微妙に変化していたのも手伝って、自分の変化の無さを強烈に感じた。人間かなかな変化・成長はしないようである。
同時に、学院の環境のすばらしさを、初めて実感した。当時は駅から3㎞の自転車通学が嫌だったし、とにかく宅通の自分にとって片道2時間の通学は苦痛だった。でも改めて学院周辺を見渡すと、とにかく夢のような環境である。最高の雰囲気がそこには間違いなくあるということを再確認できた。おそらく将来子供が出来たとしたら、本人の学力は置いといて間違いなく進学を勧めるだろう。
今後もホームカミングデー等で学院を訪れることは何度かあると思うが、そのたびに自分の少しの成長、学院の環境のよさを実感したいと思う。
「同窓生リレーエッセイ」カテゴリの記事
- 【83】稲稜祭での自主映画上映を終えて(2016.11.30)
- 【8】学院の変化@17期(2009.06.03)
- 【7】応援王国の中の早大本庄応援部(2009.05.27)
- 【6】稲稜祭の想い出(2009.05.13)
- 【5】本庄食(2009.04.29)
■コメント