2009年10月 9日 (金)
【21】レールを自由に敷かせてくれた学院
22期生 小塚 俊吾さん
私は学院に2003年4月に入学しました。志望動機は単純なもので「早稲田の理工に入りたい!」、ただそれだけでした。親孝行することを考えれば、"学院"ではなくて"石神井"に入るべきだったのですが、学院の入試問題との相性が良かったようです。
■学院との出会いとカルチャーショック
物心付いたころから鉄道ファンであった私は「将来は鉄道関係、特に車両の仕事をしたいっ!」と願っていました。それもあって、学院入学当時から将来は理工学部機械工学科に進学しようと決めていました。このような明確な目標があったので勉強は真面目にやりました。ホームの食堂で友人や先輩方が「ウィニングイレブン」に興じているのにも目をくれずに…。
ただ、せっかく大学受験を免除されているのだから、新しく何かを始めたいという気持ちもありました。私は中学では科学部に所属し、勉強ができることを美徳と考えていましたが、なんとまぁ、学院生の多彩なこと!ピアノ、空手、スポーツが全国大会レベル…。カルチャーショックでした…。どの学院生も厳しい入試で選抜されてきたメンバー、勉強ができるのは当たり前。自分の存在がかすむのが恐くなっていたのです。
■起こしたアクション
そんな中、学院入学後に一念発起して始めたのが軟式テニスでした。
体育嫌いだった私は「運動を始めるにはちょうどいいかなぁ~」、なんて考えていましたが…、この考えが甘かったことに気付くにはそれほど時間はかかりませんでした。
結局、テニスを満足に習得することはできませんでした。しかし、軟式テニス部の友人たちはテニスの腕前に関係なく付き合ってくれました。今思えば、学院は多様な価値観・人間を受け入れてくれる学校だったなぁ、と思います。
もう1つ、学院入学後に始めたものがあります。ギターです。
芸術選択で音楽を選んだ私は演奏試験のために楽器演奏の習得を迫られました。
そこでおじからアコースティックギター(アコギ)を借り、
私のギター人生が始まりました。
ホーム高仁の1つ上の先輩でYさんという方がいらっしゃいました。
Y先輩は超絶なエレキストなのですが、アコギにも精通していらっしゃり、
私はY先輩から手ほどきを受けて演奏試験での"デビュー"を飾りました。
ビートルズの"Let it be"でした。
"超"が付くくらい初心者向けのコード進行の曲でしたが、
かなりたどたどしく頼りない演奏だったことは今でも忘れまい…。
この後、何度かアコギ弾き語りを演奏試験で披露しました。
音楽科の中村忍先生は演奏試験後に1人1人に対してコメントくださったのですが、あるときの演奏試験後に私は「小塚君は腕前はともかく、勢い良く演奏しますね」という旨のコメントをいただきました。これをプラスと捉えて喜ぶべきなのかマイナスと捉えて落ち込むべきなのか、複雑な気持ちでしたが、忍先生は「(社会では)表現する力が求められる」という旨のことを常におっしゃっており、このことは年を重ねる毎に重みが増してきています。あるがままに勢いで演奏するのも間違ってはいなかったのかなと思っています(ただ、今では勢いだけではなくて、技術力向上にも努めています)。
ちなみに、Y先輩には学部進学後に大学のギターサークルで再会し、今日までお世話になりっぱなしです。本当に頭が上がりません。学院で出会ったギターが今日の学部時代にまで強く影響を及ぼすとは…。
■学院と鉄道
本業(?)である鉄道趣味に関しては2004年3月に上越新幹線に本庄早稲田駅が開業したことが強く印象に残っています。開業当日、友人のI君と一緒に朝早く"新幹線の駅"に行って、記念入場券を買いました(下の写真がそれです)。
そんでもって、翌日には本庄早稲田駅から新幹線に乗って
実家に帰るという贅沢もしました(下の写真は新幹線に乗ったときの切符です)。
あとは、"ホーム高仁~学院"の往復の間にどの新幹線車両がやってくるのかを楽しみにしながら高架橋沿いを自転車で駆けたり、街灯の無い夕闇に包まれた田んぼの中を新幹線がパンタグラフから火花を散らして走っていくのに魅了されたりしていました。
■学院卒業後
3年次の物理で散々苦しめられたものの、
当初の希望通り、私は理工学部機械工学科に進学しました。
今年の春には鉄道車両関係のメーカーから内定をいただき、
来春から社会人になる予定です。
* * * * *
最後に1つ。
学院時代に物理科の中野先生がおっしゃっていた一言(一字一句覚えているわけではないですが)は学部での勉強、そして人生の糧となっています。
「計算が2倍遅い奴は、速い奴の2倍勉強しなければならない」
学部進学時、私は一般入試で学部に入ってきた人に計算力や知識で負けるのではないかと不安を抱いていましたが、気持ちで負けてはいけないと思い、レポートや課題、数学の問題演習などで、一般生と差を付けようと(自分で言うのもおかしいですが)かなり力を入れました。その結果、一般生に十分対抗できるという自信を持てました。
進路についても普段から「鉄道をやりたい」という昔から思いを曲げず、新聞や雑誌、書籍を読み漁って知識を付け、学部3年生の10月には受ける会社をほぼ決めていました。
私は中野先生の一言を
「自分の能力を過信せず、常に努力しろ」
と解釈しています。
学院という環境は自分にも将来にも向き合う余裕がある環境だと思いますし、それによって学部進学後に物事を深めることにつながっていると思います。
私は色々なことに向き合うことで志を抱き、志のあるところに具体的な行動は起きると考えています。学院には実に様々な学院生と先生方がいらっしゃいます。タヌキもオオタカもマムシも住んでいます。様々なことに向き合える本当に贅沢な環境です。
学院生にはやりたいこと・好きなことにとことん力を入れて欲しいですし、それが無い人にはぜひ新しく何かに挑戦して欲しいです。失敗して凹んだって構いません。学院はそのような高校生のための学校だと思います。
長くなりましたが、以上でおしまいです。
お読みいただきありがとうございました。
「同窓生リレーエッセイ」カテゴリの記事
- 【83】稲稜祭での自主映画上映を終えて(2016.11.30)
- 【8】学院の変化@17期(2009.06.03)
- 【7】応援王国の中の早大本庄応援部(2009.05.27)
- 【6】稲稜祭の想い出(2009.05.13)
- 【5】本庄食(2009.04.29)
■コメント