2009年11月 4日 (水)
【23】学院教育における自転車通学の意義
15期生 羽田 真さん
1.はじめに
最近、自転車ブームだそうである。なるほど、原油高かつ不景気の昨今、経済的でしかもエコ、なおかつ健康的な自転車は注目に値する。自転車競技も盛んになり、学院でも自転車部がインターハイに出場するなど大活躍である。筆者も自宅から勤務先まで片道16kmの道のりであるが、晴れた日はできるだけ自転車(ロードバイク)で行くようにしている。
さて本稿の目的は、学院教育において自転車が果たす意義について論じることである。自転車通学は学院教育に不可欠であり、今後一層推進すべく問題の解決に力を尽くすべきであることを示す。なお本稿の文責は筆者本人にあり、以下の見解はすべて筆者個人のものである(学院当局及び同窓会役員会の見解とは関係ない)ことを断っておく。
2.学院の開校と自転車
学院生にとって、通学に自転車は不可欠であった。本庄駅からは歩いて30分、八高線松久駅からはとても歩ける距離ではない。本庄市周辺に点在する委託ホームからも、自転車がなければ通学はきわめて困難である。このような状況下で、一部では自転車通学は「やむをえない制約」であるという見方もあった。しかし、自転車通学は必然のものにせよ、学院教育への制約ではなく、「不可欠なもの」であったのである。それは、以下に示す教育方針との関わりにおいて特に重要である。
3.「教育の基本方針」と自転車
学院は、その教育理念として4つの「基本方針」を掲げている。そのうち「自ら学び、自ら問う」は最も代表的でよく知られているものである。ここでは、「基本方針」のうち2つと自転車通学の関係について示す。
(1)「地域とのさまざまなレベルでの交流を通じて、人間・社会・自然に対するみずみずしい感性を育成する」について
学院はその開校の経緯(紙幅の都合上詳細は割愛する)から、地元・本庄地域に対する早稲田大学としての貢献をその使命の一つとしている。そこで、「地域とのさまざまなレベルでの交流」を教育方針に掲げるのである。その具体化として、現在の委託ホーム制度をはじめとして、地域と関わる形での授業の展開や、課外活動を含めさまざまな形での地域貢献活動に取り組んでいる。
本庄市の中心市街地から遠く離れて所在する学院において、地域内での交通手段としての自転車はなくてはならないものである。かつて、「地理学演習」の授業では商店街や農地、史跡のフィールドワークを行っていた。朝は現地に集合して、終了したら学院に戻るわけである。これは、全員が自転車通学だからこそ可能であった。
また、学院生は自転車の臨機応変な機動力を生かして、本庄市周辺の様々な場所を見てまわった。代々の生徒会は本庄マップを作り、その道しるべとしたものである。学院生たちは、山を下りて街を巡ることで、赤城山の北風を受けて進まない自転車に本庄の自然を体感した。これらをして、「地域とのさまざなレベルでの交流」が実現し、「人間・社会・自然に対するみずみずしい感性」が育つのである。
(2)「知識と実行力(気力と体力)との結合を期する」について
詰め込みの受験知識ばかりの、頭でっかちの学生ではなく、自由な発想で新しいものを生み出す力をもった学生を育てることは、付属校としての学院の役割である。そのとき、「実行力(体力)」は重要な意味をもつ。
一般に、体力の維持・増強は体育の授業を通じて行われる。学院の体育教育は、優れたスタッフのもと、有数の施設・設備を用いて行われる一流のものである。しかし、それだけで学院生として十分ではない。
この点、自転車通学の果たす役割が大きかったのである。本庄駅から学院までは自転車でおよそ15分である。大久保山のふもとまでは平たんであるが、校舎までは坂を上らねばならない。かの有名な「まむしに注意」を横目に、登校ならぬ登山である(注:かつて入山ルートは北側けもの道を通るのが一般的であったが、現在旧Aグラ前の駐輪場は撤去された。その後マリーゴールド斜面に設けられた臨時通学路も撤去され、現在自転車通学者はドミトリー方向(いわゆる「六道の辻」)へ向かう舗装道もしくは新幹線側道から図書館方面へ向かう道を経由するのが通常である)。単純に駅と往復するだけでも1日に計30分の有酸素運動、これを3年間繰り返すことは、学院生の体力増強に大いに寄与するのである。
その昔、学校説明会だったと思うが、「通学が不便」との懸念に対し、「自転車通学と山登りで3年後にはみんな体力がつきます」と積極的にアピールしていたように記憶している。「不便だからこそできる教育がある」との強いメッセージに深い感銘を受けたものである。自転車を使うことは「やむをえない」のではなく、教育の一環として不可欠のものなのだという前向きな学院の姿勢に、通う立場の者として心強く思ったのは言うまでもない。筆者は都心にある某家電量販店の階段で、「当店階段の昇降で○Kcal消費、有酸素運動は身体にいい」とのポスターが各階に貼ってあるのを見て、下りエスカレーターがないことを詫びるのではなく、積極的にとらえさせる広報に心を打たれたことがある。学院も同じだったのではないだろうか。
4.学院をとりまく環境の変化と自転車
(1)スクールバスの運行開始
多くの方が承知の通り、本庄キャンパス連絡バスとして事実上のスクールバスが運行されるようになった。本庄駅と学院を結ぶコースと、寄居駅から松久駅を経由して学院へ至る2つのコースである。寄居駅からのバスが運行されるようになり、東武東上線方面からのアクセスは飛躍的に向上したといえる。かつては、本数のきわめて少ない八高線を利用するか、東松山から熊谷までバスを利用し、高崎線に乗り換えるほかなかったからである。
しかし、本庄駅からのバスが、学院へのアクセスを向上させたかどうかは疑問である。バスでも学院までおよそ15分はかかり、いわゆるママチャリ利用と比較しても時間的メリットはない。バスに乗りきれずに増発を待つ場合などは、むしろ遅くなることさえある。確かに雨の日は便利である。自転車の傘さし運転が禁止である以上、雨合羽を持ち運び、着替えする不便さを考えれば、自転車よりバスで通学したいというのも頷ける。しかし、天候上の問題がなければ、バスのメリットは経済的負担の軽さに尽きる。すなわち、バスの定期代は半年で5,000円であり、本庄駅前駐輪場(または大倉駐輪場)の利用料が月額2,000円(半年で12,000円)であることと比較してあまりにも安すぎるのである。
しかしスクールバスの利用は先に述べたような利益を享受できなくなるばかりか、様々な点で学院生を不自由にする。つまり、1時間に1本というダイヤの制約上、生活をバスダイヤに合わせざるを得なくなる。たとえば、教員に質問をしているときに、理解の途中であっても「バスの時間なのでこれで帰ります」と切り上げるようなことがある。教員の方も、生徒のバスの時間を気にして指導を中途半端に終わらせざるを得ないことがある。または、部活動のミーティングをしていて、議論が盛り上がっているときに、「バスの時間なので…」というようなこともある。毎日の最終バスに駆け込む学院生はあとをたたない。長期休暇中や休日はバスの本数が大幅に減るから課外活動も十分にできない。これらのごとく、バスの時間のために学習や生活のあらゆる場面に水を差され、不自由な思いをすることになる。学院生は、バスの本数を増やしてほしいというが、現状でも大赤字だというのにこれ以上増やせるはずもあるまい。根本的な解決は、自転車に乗ることである。確かに電車にもダイヤはあるが、本庄駅発着の電車は1時間に4~5本ある。自転車に乗れば、自らの裁量で時間をコントロールできるようになるのである。学院は、何よりも自由な学校を志向してきた。これは、次に述べる新幹線駅の開業とも重なる問題であるが、自転車に乗ることで自由を獲得してきた面は決して否定できないのである。
(2)新幹線駅の開業
本庄早稲田駅の開業により、新幹線通学者が現れることとなった。八高線通学者を指す「はちこうユーザ」という用語は死語となり、新幹線通学者は「かんせんユーザ」と呼ばれている。新幹線駅の「駅前」になったことで、学院は東京都心と1時間以内で結ばれることとなり、学院生のみならず教職員の多くも新幹線通勤をするようになった。セミナーハウスに宿泊する非常勤講師もいなくなった。学院は通学圏を大きく広げ、東京都内はもちろんのこと、南は静岡、北は福島・新潟から通学する学院生もいるようである。このことは、学院の入試レベルを引き上げただけでなく、「本庄早稲田」という駅の名称により、学院の知名度向上に相当な貢献をしたのは間違いない。早稲田大学は駅の開業にあたって7億円の寄付をしたそうであるが、ネーミング・ライツによる広告料を考えれば決して高くない(※誤解を避けるために申し添えると、駅の名称は公募で決まったものであり、早稲田大学の寄付とは無関係である)。
新幹線駅利用者は自転車を使わない。駅前がすぐ敷地なのであるから、当然徒歩で通学である。自転車を使わないのであるから、本庄の市街地へ出て寄り道をすることもない。同じ新幹線利用者仲間と、大宮や東京都内で「寄り道」するのである。
新幹線が、学院と都心の物理的な距離を縮め、「直通」の関係に置き換えたことにより、本庄地域は新幹線利用の学院生にとって他所の街になってしまっている。バス通学者にとってはまだ「素通り」するだけの関係があるが、新幹線利用者にとっては「素通り」すらしないのである。このことは、本庄という地域に通学しながら、本庄という地域との関わりを持たず卒業していく学院生の存在を示している。
(3)共学化
学院は2007年から1学年男子240名に加え、80名の女子を受け入れ、共学化することとなった(現実には、例年男子220名強、女子100名弱が入学しており、男女比は2:1に近い)。現在、女子は自転車通学が原則として認められておらず、多くはバス通学か新幹線通学である。例外的に自転車通学が許可されるのは、自宅から直接通学する場合であり、本庄市などの地元出身者がこれに該当する。
女子は安全面や服装(制服風のスカートを着用する学院生が多い)の点からバス利用をむやみに否定できないともいえるが、女子に影響される格好で、男子のバス利用者も増えているという。
5.自転車通学推進にあたっての課題
自転車通学は、「やる前は嫌だったけれども、やってみて案外良さが分かった」という性質のものであろう。はじめからバスありきだと、自転車通学を選択する学院生が減るのも当然のことである。自転車通学もすぐに慣れるのと同じように、バスは不便であると言いながらも、不便にも慣れるものである。そうすると、不自由であることを意識しないまま、不自由な生活を強いられることになりかねない。
学院は、教育の基本理念を達成するため、まず自転車通学の利点を認識し、その推進を積極的に図るべきである。そのためにいくつかの課題を解決する必要がある。第一にバス利用者からの誘導である。自転車通学者が減ることで、そのマナー違反に対する指導の負担は減ったかもしれない。とはいえ、バス利用者が増えれば、その乗車指導の負担が増えることも確かである。バス定期の価格引き上げが現実的でないなら、自転車通学の効能を説き、促進するよう努めることが求められる。また、現在本数の少ない寄居コースのバスを増やし、一方で本庄コースを減らすのも効果的ではなかろうか。
新幹線利用者及び寄居コースのバス利用者については、「置き自転車」を推奨することが必要である。学院に自転車を置き、必要に応じて使うのである。現在も貸出用自転車が数十台あるが、あまり使用されていない。自分の自転車を置いておけば、手続きなしに使えるので、例えば本庄市街へ出かけることもできるし、最終バスの時間を気にすることもない。新幹線利用者も、場合によっては在来線経由で帰宅する選択肢をもつことができる。
また、女子の自転車通学については認める学校も多い。適切に指導を行えば、自転車に乗っているから危険であるとも言えないのではないだろうか。むしろ、卒業後に自らの安全を確実に守るため、自転車の正しい利用法を含めて行動規範についての教育を充実させることの方が望ましいと思われるのである。
学院の基本理念からすれば、地域との接点を増やす教育プログラムを増やすことが望まれるのであって、自転車を持たない学院生がいるがためにその可能性を縮小すべきでないのである。
6.おわりに
かつて学院は、1学年6学級240人、全校で720人という小規模校ということもあり、学校全体の一体感を強く感じる学校であった。6学級であれば1人の教員が全クラスを担当できる(端的に言うと、全員が某先生の某授業を受ける)こともあり、全学院生はさまざまな経験を共有したからである。全国・全世界から集まり、自由な学び舎でそれぞれの個性を大いに主張・発揮した学院生たちは、そこで中学時代までの生活とは全く異なる稀有かつ独特な雰囲気に浸り、3年間かけて「学院生になっていった」のである。このことは、言わば石神井の学院の分校として開校した「2つめの学院」でありながら、石神井の学院とは全く異なる強みであり、独自性であった。全員が自転車に乗り、冬のただならぬ北風や夏の本庄虫と闘うというのは、やはり特異なる経験の共有であり、それがまた学院出身者の原体験なのである。全校1,000人となり、規模でも普通の学校となり、本庄リサーチパーク構想で開発が進み、校舎も山から下りようとさえしている今、かつてのような一体感を求めるのは幻想かもしれない。しかし、自転車通学が学院教育に果たしてきた役割は、簡単に切り捨てられないほど重要なものであったことは確かだと思うのである。
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