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2010年1月 6日 (水)

【27】強い、どこまでも強い意思の力

13期生 山下 隆輝さん

 私は、つい先日、平成21年11月14日と同月27日、12年数ヶ月ぶりに早大本庄(以下「学院」という。)を訪れた。卒業式以来だ。
 弁護士という職業に就いていることで、「資格取得を視野に入れたライフデザイン~弁護士という仕事~」というテーマでの講演と刑事模擬裁判での裁判長役を引き受けてほしいとの依頼があり、母校の役に立てるのなら、これほど嬉しいことはないと、すぐに引き受けた。

 実に久しぶりに学院を訪れ、私は、変わったもの、変わらないものを一つずつ確認して歩いた。
 学院の周辺の様子はすっかり様変わりした。新幹線の駅、リサーチパーク。逆に、学院の校舎は、大教室の壁が塗り直された程度でほとんど変わらない懐かしい景色を残していた。売店のラスク(砂糖がゴッテリとまぶしてあって、いかにも体に悪そうなのだが、中毒症状をもたらす魅惑的な味だった。)を売り切れ前に手に入れるため、コーヒーブレイクに駆け込んだ食堂も、その様子はほとんど変わっていなかった。16歳から18歳までの間、自分の生活のほぼ全てだった景色が、変わらぬまま、そこにあった。

 しかし、学院の校舎や周りの景色以上に、変わることなく残っていたのは、学院生の強い、どこまでも強い意思の力だった。
 同月14日の講演に出席した学院生の熱心に聞いている様子から、私は、そこで何かを得ようとする学院生の強い意思、その後の質疑応答でも、自分なりの明確な考えを持ち、それをぶつけてみたいという学院生の強い意思の力を感じた。

 講演と名の付くものを、学校の行事として行うような場合、「最後に質問はありませんか。」等と聞いても、悲しいかな何一つ質問など出ない場合がほとんどだ。
 しかし、学院生は違った。初めこそ、戸惑う様子も見られたが、1人、2人と質問を始めると次から次へと質問が出てくる。全体では質問しづらい生徒もいるだろうと思って個別の質問を受け付ければ、そこにもどんどん質問に来る。犯罪を犯した、いわゆる「悪人」である刑事被告人をなぜ弁護するのか、そこにジレンマを感じないのか、という議論を私に持ちかける生徒もいた。
 私は、そのとき、地理的な意味を超えて「あぁ、学院に帰ってきたんだな。」と心の底から実感した。学院とはそういうところだった。学院生は皆、それぞれに自分というものを明確に持っていて、意図せずとも、その強い意思が内面から溢れ出てくる、滲み出てくる、そんな人間の集まりだった。皆、人間的な魅力に溢れていた。

 また、同月27日の刑事模擬裁判の際にも、やはり同じ感想を抱いた。
 定期試験が間近に迫っているにもかかわらず、何とか模擬裁判で有罪、または無罪を勝ち取ろうと、生徒たちが寝る間を惜しんで準備していたという話を羽田真教諭から伺った。そして、当日の模擬裁判は、彼ら、彼女らの思いが滲み出る、熱のこもった素晴らしいものになった。これも、学院生の、自分の思いやメッセージを伝えたいという、強い、どこまでも強い意思の力の現れに他ならない。
 模擬裁判終了後も生徒たちは、私の周りでどうしたら勝てたのか、引き続き議論に花を咲かせていた。私は、この時間がいつまでも続けばいいのに、と願ってやまなかった。そこには、私が学院生だったころと何も変わらない学院の雰囲気があった。

 2日間、久しぶりに学院を訪れてみて、時間が経過しても変わることのない「学院らしさ」がきちんと残されていることがよく分かった。これは容易ならざることというべきだ。教職員を含めた学院全体が、自己のアイデンティティーを明確に認識し、かつ共有していればこそ、なし得ることであって、これは今後も是非残し続けていただきたい。

 今今回、外部の人間として学院を訪れて、若干気になったことを最後に述べるとすれば、せっかく学院生が強い意思の力を持っているにもかかわらず、それを発揮するフィールドが「高校生」という枠にとどまっており、学院生には若干狭いのではないかという点である。
 もちろん、卒業論文は、「高校生」という枠を超えた一つの大きなフィールドであり、これを今後も大切にしてもらいたいことは言うまでもない。
 しかし、それだけではあまりに勿体ない。付属校であればこそ、大学、更にはその後の社会人としてのあり方まで見据えた教育が可能なのであるから、学院には、大学や社会人まで視野に入れた視点を持つ機会を学院生に提示してほしい。これを欠いてしまっては、学院生がどんなに高い能力を持っていても結局は「高校生」という小さな枠にとどまってしまう。
 どうやって大学や社会人まで視野に入れた視点持つ機会を提示するか、ということが問題だが、私は、今回自身で講演を行ってみて、講演という形式が、学院生に対する学部や職業選択に関する情報提供の一つの方法として、非常に有益だという感想を持った。この試みは、是非とも継続していただきたいと思っている。
 今回、講演を通じて学院生と話をしてみて、学院生が大学や社会人というものについて十分な情報を持ち合わせていないことを実感した。例えば、法学部に行くと法律に関連する職業にしか就けないのではないかと思い込んでいたりする等、基本的な情報が欠けている。かくいう私も、恥ずかしながら、学院生の当時は、法学部に入らなければ司法試験を受けられないのだという誤った情報に振り回されていた。これは、高校生一般に共通することなのだろう。
 しかし、高校生一般の情報がその程度だから学院生もそれでいいということには決してならないはずである。学院生には他の高校生の一歩、いや一歩と言わず十歩先を進んでもらいたい。そのための視点を、講演やその後の質疑応答等を通じて手に入れてほしい。あとは、学院生ならば、自分の頭で、その強い意思で、道を切り開いて行けるはずである。そのためのきっかけとして、是非同窓会を積極的に活用してもらいたい。同窓会は協力を惜しまないだろう。

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