2010年3月24日 (水)
【31】3年間を振り返って
26期生 石川 ありさ さん
「おいおい、こんな場所…お前大丈夫か?」
合格者の集いで父親が思わず発したセリフ。早本の異様な雰囲気に家族全員が圧倒されていた。先輩は変な奇声を発しているし、上半身裸でうろうろしているし。さらにニヤニヤ笑っている人もいれば、睨んでくる人もいるし本当に怖かった。東京港区に住んでいた私にとって、本当に何もない本庄は衝撃的で「まむし注意」の立て看板や禁猟区のポスターと目を疑うものばかりだった。父親の言葉に何も返せない自分がいた。今でも笑ってしまう、家族の中でもネタになっている話であるが、まだあの恐怖を覚えている。
「こんな動物園みたいな学校、大丈夫か?」
自分でも心配だった。
そんな私が3月7日、卒業することができた。時が経つのは早いもので、気が付けば3年間は本当にあっという間だった。3年間振り返って自分は何ができたのか。勉強も部活も委員会も頑張った!(つもり)。1年の時に吉見先生、坂井先生(如各)、2年では羽田一郎先生(ハダッチ)、若林先生(わか)、3年では半田先生(半ちゃん)、渡辺先生(なべさん)の個性的な授業をなんとか制覇。部活はチアをやってみたり、ESS部で対外的な交流に参加したり、ディベート部を作って全国大会に出場したり、文化祭ではダンスを披露したり、茶道部で女を磨いたり…本当に目立つものに首を突っ込んだ。この3年間で吸収できたものは数多くあり、自信につながった。正直ディベート部とESS部のおかげで口喧嘩は敵なしだ(笑)。しかしながら、全てがうまく行ったわけではない。挫折・後悔・嫉妬や逃避。自分の嫌な部分が見えた3年間でもあった。
卒業式では色々な人と写真を撮り合った。かわいくて美人のM(個人的に将来有名人になると思っている。この写真に高値がつきますように…笑)や、同じ部活で仲良し3人組だったNとW、大好きな風間先生と篠田さん(私は一部の男子から2人の孫と呼ばれていました)、を初めとするお世話になった先生がたとのツーショット。ESS部の集合写真やクラスの写真。ミクシィに写真をアップする作業中、改めて思った。3年間気がつかなかったけれど、こんなにもたくさんの人と出会ったのか。一人ひとりに個性があって、その個性を尊重し合って、たくましく生きている。大好きすぎて仕方ない人たち。同じ大学に行くとわかっていても、なんだか寂しい。今すぐにでも連絡を取れば会えるけれど、それでも寂しい。大きな器でもって、深い器でもって、学院生の一人ひとりに居場所を作ってくれた本庄高等学院と離れてしまうのは惜しいのだ。
「おいおい、こんな場所、お前、大丈夫か?」
「大丈夫だったよ、パパ。ありがとう。」
「ママ、心配かけました。大学ではもう少しレディになろうと思います。」
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