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2010年5月19日 (水)

【33】ホームステイ(パート2)

4期生 原岡 修吾さん

みなさんこんにちは。
2回目の投稿で恐縮ですが、今回も前回(2009年4月)に引き続き1985年頃のホームステイについて、記憶をたどって書いていきたいと思います。

現在の学院生はすでに大半が自宅通学生ですが、私が通っていた頃は生徒の約8割がホームステイ生だったので、今思えば当時がホームステイ全盛期だったといえます。
当時のホームステイにはいろいろと構成があり、一学年だけ、全室二人部屋、合計2、3人の少人数の所などもありましたが、私が二、三年生を過ごした「小池」はごく標準的なホームステイでした。(全室個室で一年生6人、二年生7人、留年生2人。※私が二年生当時)

一日(起床)はホスト婦人のクマさん(おばあちゃんの名前)の砂袋でのノックから始まります。

「ごんごんごん!原岡くーん!朝だよー!」

といった具合に各部屋をまわるのです。当時5歳くらいだった孫娘も面白半分で付いてきていたのを覚えています。その孫娘が日曜日に一人(勘違いをして)いつものように砂袋で激しくノックをして熟睡中のK君の堪忍袋の緒が切れた、なんていうこともありました。

眠気まなこを擦りながら食堂へ行くと牛乳瓶と菓子パンが並べてあります。(食事のメニュはホームステイによってまちまちです)
「朝から菓子パンなんか食べてられない派」も何人かいたので、食べたい人は3、4個ゲットしていました。
私は「朝から菓子パンは食べない派」だったので授業の2限目終了後のコーヒーブレイクになると食堂へダッシュをして朝飯代わりのチャーハン(200円)を食べていました。
このコーヒーブレイク中に朝飯代わりを食べる人が何人かいて、学食の一角は学年やクラスを超えた仲間意識のようなものがあったように記憶しています。

授業が終わるといろいろな選択肢がありました。部活の人はもちろん部活直行です。
部活がない人は、
1. ホームステイへ帰って昼寝をする。
2. ニチイ、忠実屋などへ行って買出し。
3. 他のホームステイへ遊びに行く。
4. 本庄の野山、川、池などで遊ぶ。
といった感じで、その時の気分で行動を決めていました。

昼寝は部活をやっていない人の特権です。部活動を終えた友人たちは18時頃帰ってきます。ラグビー部やサッカー部は特にくたくたの状態です。昼寝をしてスッキリした者とでは余力が違います。しかし、そこは部活生も「根性」で夕食後の遊びも最後までしっかり付き合うのです。そして翌日、先生の声を子守唄に白い三人掛けの机を枕にしてパワーを充電するといった具合です。
(この辺のどんなに疲れていても「夜付き合う」という精神が「本庄OBには多くの優秀な営業マンがいる」との専らの評判の根拠なのかもしれません)

それでは具体的にはホームステイではどのような遊びをしたのでしょうか。
その時のブームやホームステイの構成メンバー、ホストの厳しさなどによっていろいろありますが、主なキーワードを挙げると、音楽、漫画、トランプ(54枚)、積み木(144個)、将棋、空気銃、釣り、サイクリング、体を鍛える、飲む、買出し、喫茶店、ボーリング、ゲームセンター、野球やサッカー(部活ではない)、読書といったところでしょうか。(※パソコン、携帯電話はない時代です)
勉強はしないのかという質問もあるかと思いますが、当時の学院生のほとんどが「試験前以外は勉強をしない」、というスタイルでした。言ってしまえば勉強をする時間がもったいないほどホームステイが楽しかった(有意義だった)ということです。
しかし、いざ試験前になるとホームステイ内で連携をして(教え合って)一気に試験期間を乗り越えたのを覚えています。3日で睡眠時間7時間というムチャなやつもいました。
(この辺の試験前対策で培った術が「本庄OBにはチームワークに長けて集中力が高い人材が多い」と専らの評判の根拠なのかもしれません)

このような生活を3年間過ごすと一体どうなるのでしょうか。
まずは、人間関係(人とのお付き合い)が上手になります。
ホームステイは個室とはいえ、プライバシーがほとんどありません。みんなと家族同然の付き合いをします。
そんな状況で生活をしていると、相手が何を考えているのか、どう思っているのか、あるいは相手についてもっとよく考えよう、ということが自然と(無意識のうちに)身についていきます。
そして、人間には誰しも長所と短所があり、それを受け入れることが重要だということに気がつきます。
これは普通の学校ではなかなか経験が出来ない貴重な体験です。
また、全員が早稲田大学へ進学できるということ、そして周りに女子がなかったことも幸いして、無駄にかっこをつける人、変なライバル意識を抱く人はいませんでした。

私は今でも本庄時代の友人たちとは当時と変わらぬ付き合いをしています。
たとえ友人の誰かが仕事で大成功を納めていても(あるいはその逆でも)会えば昔と変わらぬ関係です。

時代は大きく変わり、今の学院と1985年当時とでは変わった部分がたくさんありますが、根底に流れている「本庄魂」は年代や環境が違っても同じだと思います。
同窓会活動をしている関係で学院を卒業したばかりの若い世代の人たちと話をする機会がありますが、しっかりと「本庄魂」を感じることが出来ました。「本庄魂」の中身は説明し難いですが、本庄高等学院の卒業生であれば自然とそのオーラのようなものがでているのでしょう。

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