2010年5月26日 (水)
【34】デニッシュ自動販売機から学んだ自己責任という社会のルール
11期生 佐藤 順哉さん
体育館の入ったところにいつまであの機械はあったんだろうか。
つい先日、Eメールで嘉来先生にお願いしてご確認頂いたら、いまはもはやない、とのこと。
皆様方、ご記憶にありませんか?
体育館を入った正面のところにパンの自動販売機がありました。デニッシュが売っており、腹が空く若者にとって学食と売店が閉まった後も小腹を少し満たすぐらいだが食べ物が買える心強い存在であった。
たしか味に関わらず一律で120円。
コインを入れて番号を押すと、ストンとショーケースの上の段から落ちてくる様が見ていても楽しい。米国からの帰国生だった僕は、よくそれをみてアメリカを思い出していたっけ。
この自動販売機から僕は社会人になった今でも教訓とする社会の規則を学んだ。
※写真は類似機種。もっと操作パネルが古かった記憶があります。
高校2年生の稲陵祭が近づく夏の終わりのある日、軽音楽部だった僕は稲陵祭のライブステージに出るためのオーディションの出番を終えて気分が高揚していた。
大教室でのオーディションを終えて、バンドメンバーとオーディションを見に来てくれた友人達数人とワイワイしゃべりながら体育館へ。まだ他のバンドが出演中であり、後片付けがはじまるまで体育館でのんびりと涼んでいようか、という話。
今日の演奏の出来具合、他のバンドの話、稲陵祭で出す我がクラスF組の出し物などについてテンション高く話しをしていた。
ふと、デニッシュの自動販売機に目をやると、パンが落ちそうにぶらさがっている。僕は友人O君を誘って、近くへ見に行く。たしかにぶらさがっている。
「とろうぜ!得したじゃん!」
演奏で気分が高揚しアドレナリンが大量に脳内に放出されていた僕は、O君を促し、自動販売機を揺さぶった。
結構苦戦したが、強く揺さぶると、ポトンと落ちた!
仲間のもとにもどり「まじかよ、さすが佐藤」と賞賛され、勝ち誇った気分でそのデニッシュを仲間達と分けてほおばった。
そろそろ時間が来たため大教室に戻り、ドラムやアンプなどの機材をB棟の部室へ戻し、いつもの喫茶店「フロントページ」に行こうぜと言っていた時、校内放送が流れた。
その時の校内放送、事務室のどなたの声かもまだ記憶にあるぐらい耳の奥に残っている。
「体育館の自販機のパンをお金を払わずにとった方、事務室までおいでください」
11期役員の西巻に僕は「事務室で金払ってすぐいくから先にフロントページいっといてよ」と告げて財布を出して事務室へ。
事務室の受付に120円をチャリーンと出して帰ろうとすると・・・どうやらそれだけでは済まない様子。僕と友人O君はピンとこない。学院長室へどうぞ、と言われ、そのまま学院長室へ。中では榎本学院長が待っていらっしゃった。
事の重大さに僕は初めてその時に気がついた。
演奏の高揚感もなにもかもすべて吹き飛んだ。
この行為は万引きと同じであること、罪の意識がなく、出頭してお金を払って済む問題ではない。
これが学外であったらどうだったのか。反省するには一人の時間が必要である。
ということを言われて、ハッとした。これは歴とした犯罪なんだ。いつもの様にクラスに出て、勉強したり、居眠りをしたり、自主カットした放課後はいつもの喫茶店でギターを仲間達と弾き、笑い、といったあたりまえの自由で平和な日々っていうものは、あっという間に簡単にもろくも崩れ去るんだ、と。
担任の上野先生と高山先生も途中で出てこられた。先生方はいつもとは違う、とても厳しい目をしていらっしゃった。だがその目は厳しいだけではなく我が子を諭す親の様な慈悲を感じる熱い目だったことが今でも忘れられない。
停学、親への報告を免除してくださったことが逆に良心の呵責を苦しませた。
早稲田大学本庄高等学院、自由を謳歌できる学校だ。
だが、それは自由を手にする代わりに一線を踏み込えないという先生方と学生達のお互いの暗黙のルールが存在する。
あうんの呼吸でそれを守っている。
どこが一線なのか、なにがよくてなにが悪いのか、ということは子供ではあるまいし、この学校では手取足取り誰も教えてくれない。その要件を満たした勉強面以外にも優秀な人材が全国、世界から集まってきてこの学校の「自由」は機能して回転しているのだ、とその時気づき自分の未熟さを痛感した。
両親には後になって僕が結婚をして子供が生まれた後に子育てについて酒を飲みながら語り合っているときに、そのことを初めて話すことがあった。
自己責任は人を成長させる。でもそのかわりに監督する側は黙って我慢して見守る必要があるのだ。
小学校2年生の娘を持つ今になって、「黙って見守る」ことが本当に大事であり、本当に忍耐が必要で大変だ、ということを学んだ。先生方は黙って我慢しながらこんな僕を当時見守り続けて下さったのだろう。
今更ながら本当にありがとうございました。
あれから、大学に入り、企業に就職し、新入社員時代、若手時代、中堅時代と15年以上の時が流れた。新入社員の時と違って、だいぶ自分の裁量で仕事をやらせてもらえる環境になってきた。
そんな今、余計に、あのデニッシュ事件を思い出す。
自由な裁量ということはつまり逆に言えば、自己責任下で確実に実績をあげることが求められる。
それに甘んじてただ漫然と日々を送り成長なくしては、自由な環境を享受する資格がない。そのために、自分で考え、自分で行動し、時に上司に相談しながら自己研鑽をし、社会的に成長をしていかなくてはならないのだ。
この成長が先生方への恩返しになるのではないかと考えている。
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