2010年6月 2日 (水)
【35】学院生の関心事
9期生 貞末 真吾さん
中学校で共学だったボクが、本庄に入学して驚いたことが「女子がいない」ということでした。(当たり前ですが)
多感な年ごろに、彼女はおろか、好きな子すら出来ないという悲劇は、学院生、ことにホームステイ生にとっては、今、抱える頭髪の後退より深刻だったと記憶しています。
そんな状況を打開すべく、一生懸命努力していたのが「コンパ」でした。
(最近では「合コン」ですが、当時はなぜか「コンパ」)
友人のホームステイに遊びに行っては、卒業アルバムを開いて
「お前の好きだったのはどれだ?」
とか
「おれは上から3段目の井川遥ちゃん(仮名)がタイプ」
などなど。
今の卒業アルバムはどんなものかは、知りませんが、当時のそれには「住所録」がついておりました。
もちろん写真と名前しか知らないボクが井川遥ちゃん(仮名)にコンタクトを取れるすべがありませんので、必死に友人を説得して、無理矢理、ホームステイから電話をさせてはコンパの約束を取りつけさせておりました。
約束の当日。
お気に入りのケーパのシューズ(△マークが取りかえられるやつ!なつかしい。)に、501のデニムとチェックのネルシャツ。
普段つけない整髪料と香水を「これでもか!」ってくらいに振りかけまくり、大都会「大宮」に繰り出すのであります。
当時のコンパでは、1次会は概ねボーリング。
無意味に5ゲームほど投げまくります。
女子がストライクを連発しようが、パンチラを連発しようがお構いなし。ジュークボックスでお気に入りのミポリンをかけて自らのスコアメークに命を懸けます。
そのあとは17(セブンティーン)アイスクリームを頬張りながら決まってカラオケへ。
ハウンドドッグと尾崎豊をひとしきり熱唱したあと、帰り際に井川遥ちゃん(仮名)と話をしていないのにふと気づきます。
が、勇気がなくて連絡先を聞けずに(本当は知っているのですが)高崎線に。
車内では、
「どうやったらモテるのか?」
に話題は終始しますが、鴻巣駅あたりを通過するころには、深谷駅に駅員がいるかどうかに話題は変わっていましたが・・・。
最近の学院生はビシッと赤外線通信などしているのでしょうか?
そもそも共学になったので、コンパすらしていないのでしょうか?
今、目の前にあることに一生懸命になってしまう。
これも毎日赤城おろしに向かって、ちゃりんこをこぎ続けた学院生の宿命なのでしょうか?
そんなことを考えながら、少し大人になったボクは今日も恵比寿の合コン会場へ向かうのでした。
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