2010年10月20日 (水)
【43】本庄の思い出
1期生 原 淳さん
卒業して、かれこれ26年になります。
あの大久保山で過ごした3年間は今でも鮮明に覚えています。
私は、入学当時両親が海外にいたため、一人で受験し、入学、入寮の手続きをして3年間の高校生活がスタートしました。最初の1年は沖電気の社員寮を帰国子女専用の寮に仕立て上げたところに住んでいました。初めての地に、初めての人たち。行くまでは少し心配しましたが、同じような境遇の仲間がいて、すぐに溶け込むことが出来ました。
そこから自転車で20分ほどに母校がありました。
入学式が終わり、初めて校舎内に入った時は驚きでした。なんせいたるところが工事中で学食もなく、仕出し弁当を食べる生活が確か半年くらい続いたかと思います。
何もかもが新鮮でした。
授業の度に移動したり、グラウンドが石ばかりでよくつまづいたり、他のホームステイに遊びにいったり、謹慎になったり、風が強くて自転車が進まなかったり、文化祭に普段見ない女子高生がいっぱい来て浮足立ったり、楽しい変な先生がいっぱいいたり、マムシに注意したり。
勉強はした記憶があまりありませんが、毎日が楽しく、新鮮でした。
一番の思い出は、やはりラグビーです。
はじめはルールも分からずに始めたラグビーでしたが、大勢の仲間と毎日練習をし、次第に上達しました。初めての試合では、60点以上の大差で負けて悔しい思いをしましたが、2年、3年と進むにつれ、埼玉県大会でも結構勝ち進んだりしました。
結局、花園には行けませんでしたが、いつかは後輩がきっと出てくれるのではないかと期待しています。もし花園に行けたら、間違いなく仕事もなにもすっとばして、現地に応援に行くでしょうね。昨年は少し期待しましたが、いつかやってくれると信じています。
いまではもう40歳を超え、さすがにラグビーはやっていませんが、このころの経験があって今の自分があるのではないかと思います。
このころの友人とはいまでも交流があり、おそらく死ぬまでつづくのでしょう。
今思うと夢のような3年間でした。
このような友人と経験を与えてくれた母校とラグビーに感謝します。
「同窓生リレーエッセイ」カテゴリの記事
- 【83】稲稜祭での自主映画上映を終えて(2016.11.30)
- 【8】学院の変化@17期(2009.06.03)
- 【7】応援王国の中の早大本庄応援部(2009.05.27)
- 【6】稲稜祭の想い出(2009.05.13)
- 【5】本庄食(2009.04.29)
■コメント