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2010年11月10日 (水)

【44】ワセダの歌

22期生 小塚 俊吾さん

前回、ここにリレーエッセイを投稿したのは昨年の10月、大学4年生のときでした。
それから半年経った今年4月、私は就職して故郷の埼玉を去り、
愛知県民になりました。

* * * * *

話は遡ること就職する1週間前に行われた早稲田大学の卒業式のこと。
『校歌』、『紺碧』、『栄光』と3曲の合唱がありました。
本庄学院の卒業生、特に音楽選択だった方はご存知ですよね?
順に『早稲田大学校歌』、『紺碧の空』、『早稲田の栄光』です。
この3曲を知っているのは私にとっては当たり前だったのですが、
自信を持って歌える人って案外少ないと思います。
(とかいう私も『栄光』の歌詞はうろ覚えでしたが…。)
特に大学からワセダに入った人は早慶戦に行ったり体育会の活動をしない限り、
校歌を歌うのは入学式と卒業式だけ、なんてざらにあるようです。
ちなみに、卒業式で隣の席に居た石神井の学院出身の友人は
『栄光』が流れた時は困惑していました。

「ワセダの歌」を歌えるのは、本庄学院に通っていたからこそだと思います。
ワセダは毎年卒業生が1万人にも居る大学です。
しかしながら、本庄学院に通う「早稲田大学0年生」は、各学年およそ300名(私が居た男子校時代はおよそ240名)で、人数的にまとまりやすい学校だと思います。
そのような環境であったから、みんなで『校歌』を歌ったり、稲稜祭の『紺碧』で暴れたりすることができたのだと思います。

こうして刷り込まれた「ワセダの歌」は、
4月から会社勤めをしている私の心の支えとなっています。
「進取の精神」という言葉には、会社人として歩み始めたばかりの人間がまだ折れるところではないことを自覚させられます。
「大なる使命」という言葉には、今は目の前の事を懸命にこなして、いつか来るであろう「大なる使命を 担ひて立てる」日に備えねばならないことを私は説かれています。
「集まり散じて 人は変れど 仰ぐは同じき 理想の光」という詞を思い浮かべると、ところは違えど同窓生が懸命に働いたり研究したりしていることを思い浮かべます。

* * * * *

学部に居る間は「大学に居る」とは思うものの、
「ワセダに居る」と思うことは、あまりありませんでした。
一方で、本庄学院は学部とは異なり、先生方との距離が近かったり、「ワセダの歌」を歌ったり、本庄という立地のため(?)、誘惑してくるものがほとんど無かったたりと、ワセダを意識している時間が長かったためか、「ワセダに居る」という自覚が強かったです。

ワセダを卒業して、ワセダが「心のふるさと」と感じる日々です。
組織のありがたみは組織を出ないとわからないものなのだなと気が付きました。
「早稲田魂」を吹き込んでくれた本庄学院には本当に感謝しています。

乱筆ではありましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

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