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2011年2月16日 (水)

【47】去りゆく者、そして。

23期生 伴 卓さん

 先日、27期生を対象に本庄高等学院にて本会の説明会を開催させていただきました。
 説明会で会の存在を知り、このエッセイを読んでくださっている卒業生の方々、少し早いですが、改めまして卒業おめでとうございます。これで晴れて皆さんも同窓会の一員になることができます。その一方で、私も来月末で学生生活に終止符を打ちます。

 7歳から始まった義務教育。16歳から23歳までの早稲田での生活。学習期間のおよそ半分を私は早稲田で過ごしました。人が成長していく過程で変わっていくように、本庄高等学院(以後、学院と略す)もまた変わっていきます。一年ぶりに降り立った本庄早稲田駅で初めに驚いたのは、校舎を取り巻く環境でした。少し大げさですが、山岳地帯にあったはずの学校が、大分周囲から目視できるまでになっています。周囲の山々が切り崩され、土地開発が進んでいました。
 学校も一見変った様子はありませんが、何かが違う。別に女子生徒が歩いているからというわけではなく、空気と言うか、匂いと言うか、何かが変わっている。しばらく経つと、単に自分が変わったのかと考えたが、やはり何かが違う。
 学院は今、大きな変革期の中を進む帆船の様な状態ではないでしょうか。風の読み方を間違えれば進まないし、時に停滞を余儀なくされる。何もしなければ、行くあてもなくさまよってしまう。卒業生と現役学生を含めると、8,000人程の乗組員が乗船していた船です。

 私が理事(昨年末に役員から理事に名称変更)に就任して以来、卒業時は関心の薄れていた学院に、再度私の気持ちが傾き始めました。大学でサークル活動を経験したことがある方は分かると思いますが、在学中は当事者で、卒業後はどこかお客さんの様な関わり方になってしまう。少し歳が離れれば、もはや誰かもわからないし、自分の前後数年の仲間としか関わりが持てなくなってしまう。恐らく通常の高校で有れば、同窓会組織があってもそれは形式的なもので、実際の同窓会では一同に卒業生が会しても、よそよそしい空気を漂わせてしまうことになる。
 その点我々の高校はどうでしょうか。学習区分で言えば「高等教育課程」にあるのだが、我々は「早稲田大学高等部」という、言わば16歳にして早稲田大学の学部生なのである。だから、数年間在籍すれば全員が高等部を後にした、全員が「高等部」の卒業生である。その高等部という帆船が時に迷い、無風の状態になった時はどうするのか。進ませる方法は2つである。

・外部から風を起こさせて進ませる
・自分たしで艪を持ってひたすら漕ぐ

である。我々はその二つがどちらでも出来る環境にあるのではないかと思う。役割は次のように分けられる。

卒業生=風を起こす
現役生=漕ぎ手

ではないだろうか。6,000人を超す卒業生がいればかなり大きな風を起こすことが出来ると思います。一方、学院生であれば、ただ風を待つばかりではなく、自らの手に艪をとり、全員で力を合わせて進むことが出来る。と信じたい。ここで大事なことが一つある。それは目的地である。
 どんな良い風が吹こうと、どんなに力強い動力があろうと目的地がなければ漕ぐ気力も起きないし、惰性に目的もなく流されてしまうことになる。それでは意味がない。風の吹かせ方、目的地の設定と言う大切な役割がある。
 同窓会組織は後輩たちを甘やかす組織でもなければ、単なるお友達の集まりでもない。会のウェブサイトにあるように、先ずは「学院への恩返し」をテーマに、自発的に行動することが出来る人間の集まりなのである。その中で同志ができ、議論を重ね、蛇行しながらも「恩返し」というゴールのない目的地を目指して進んでいる集団である。

一年ぶりに本庄高等学院を訪れて感じたことは、去年よりも「この高校で良かった」と感じたことである。変わったことも多々あるが、それ以上に今学院は何か新しい環境に向けて舵を切り、我々卒業生の追い風も含め前進しようとしている気がした。27期生と対面し、年の差は毎年増えていくばかりであっても「共有するものは同じなんだな」と感じました。共学化したことで失われたものもあるだろう。一方で新たに増えたものもあるだろう。だが、利点や欠点を比べるのではなく、慎重に1歩踏み出すよりも、3歩進んで2歩後退した方が経験には5倍もの開きがある。
 今、同窓会に求められることを考えた時、単に定期的にホームカミングデーをするのではなく、毎年300人増え続ける仲間を、常にバックアップし、時に一緒になって誰かを応援するところに会の真の存在理由があるように感じました。
 理事会の中では最年少の部類に入る私です。1期生から自分の一つ上までの先輩方の顔を見渡すと、全員が真剣に会と向き合い、本庄の為にという思いが伝わってきます。後輩から見ていてかっこいい先輩方です。いつか自分がその立場に立った時、同じ境遇に後輩が立ってもらえるかは分かりませんが、少しでも後輩に慕ってもらえる立場に近づきたいと思います。
 私はこの春、いよいよ学生と言う環境から去ります。同時に「早稲田」という組織からも去ります。しかし、卒業後も同窓会で過ごす時間はこれからも貴重で、掛け替えのない仲間たちがそこに居ます。同窓会で理事をし、同好会で活動をすると、高校時代には気がつかなかった何か大きなものに気付くことが出来ると思います。27期の卒業生の皆さん、他の期の皆さん、同窓会は今、新しい役割を目指して日々チャレンジしています。少しでも関心を持っていただけましたら、ウェブサイトが窓口になっていますのでいつでもいらしてください。本庄から縁遠くなってしまっている卒業生の皆さん、もう一度本庄の中まで盛り上がってみませんか。

本庄早稲田からの帰路にて

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