2011年7月27日 (水)
【58】学院生活と卒論
4期生 大熊 健さん
早稲田本庄を卒業して23年になります。友人から原稿を頼まれたのですが、ネタがないので取り敢えず卒論のことを書きます。
卒論では参考文献を明確にして、根拠をきちんと説明することを求められました。会社で長年法務関係の仕事をしていますと、上司への説明においては根拠、出典を重視されることが多かったので、その点卒論とは共通点がありました。
私の卒論のテーマは「発光生物進化論」でした。進学したのが法学部だったので、進路とは全然関係のないテーマでした。
もともと、熱をほとんど持たない生物発光を何かに活かせないかということに興味を持っていたのですが、そのうちに、発光バクテリアや発光キノコなど発光目的が不明なものに限り原始的生物が多いのは何故か、それらは何故意味もなく光り始めたのか(実際には太古の地球では意味があったとする学説もあります)、光る魚類はたくさんの種がいるのに、光る両生類、は虫類、鳥類、ほ乳類がいないのは何故か、などの謎に興味が移りました。発光生物以外の分野にも手を拡げて文献を探っては思考を重ねていくうちに、1つの系統だった進化論で説明がつくとの結論に至り、興奮して吉見先生に報告し卒論を提出したのを覚えています。
40歳を超えた今でも、卒論で辿り着いた仮説は正しいとしぶとく思い込んでいます。
もう一つ、本庄で印象に残っていることがあります。
今でもそうですが、私は勉強の要領が悪く、集中力がありません。
学院生活での前半時期は比較的真面目に勉強していた方とは思うのですが、学院生活の後半から大学にかけて、世の中は要領の良さの方が大事なんだ、などと思い、如何に少ない勉強時間で楽をして成果を得るかという方向に傾いていってしまいました。勿論そのためには友人のノートや言葉に頼る他力本願をベースにすることになります。目の前のテーマに真剣に向き合わなかったがために、自分は高校と大学で一体何を身につけたかと聞かれると答えられるものが何もないのです。
明確に目標を持っている人はそれが一番です。しかし私のように目標を見つられないまま高校生活を送っている人の場合は、学校で学ぶことが一体何の役にたつのか?と考えても迷いから抜け出すのは難しい気がするので、何であれ正面から真剣に向き合う姿勢自体が後の人生で役に立つと信じてみるのも面白いかもしれません。40歳を超えてようやくそういう考えに至りました。ただ今でも真剣に向き合うことにつき行動が伴わないことが多々あり、反省を繰り返す毎日です。
学院生活については心残りがあるからなのか、ここ数年の間、早稲田本庄に通学しようとするが遅刻して辿り着けない(朝8時なのにまだ山梨県にいる)夢をよく見ます。現役の学院生の方は、私のように邪心に負けてしまう事なく、悔いのない高校、大学生活を送って頂きたいと思います。
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