2011年9月 7日 (水)
【62】校歌を国歌に。
23期生 伴 卓さん
こんなタイトルを書くと、偏った考えのように思われるが、本来本庄高等学院は『早稲田大好き人間養成所』でなくては困る。
都の西北は第二の国歌であると同時に、自称最高学府であってもかまわないと私は思う。
つまり、それ位早稲田に染まることが出来るものが卒業して欲しいし、単なる大学進学への通過点であってはならない。
私はこの春社会人になり、言わば人生の本格的な道を歩み始めたわけである。
税金も支払わなけば行けないし、仕送りなんてのも無い。責任は全て自分の手の内にある。つまり、同時に自由もまたその裏側にあるという事だ。
こんな考えを教えてくれた先生は本庄にいた。それはなぜか?
本庄高等学院は、文科省的に言えば高等学校区分の過程だが、早稲田的にはそれは違う。
早稲田大学にはいくつもの学部があるが、その中の一つ『高等部』という位置づけになる。この考え方は六大学の附属高校では当たり前で、言わば予科という認識である。つまりだ、そこを通らずして大学に進んだ者と私たちは、まず土台から違うわけである。だから、慶応に落ちたから何て理由で早稲田にこないで欲しいし、福沢諭吉先生に失礼ではないか。
しかし、だからといってキャンパスで肩で風を切るような歩き方をしてはならない。下品過ぎる。人目につかないところで自分の野望実現にむけて努力したり、早稲田ブランドを大いに利用して社会に打って出たり、学生時代の使い方は様々だ。
ちなみに私は大学も四年で卒業出来た。したい事はあったが、いち早く社会に出る事の方が大事だと感じていたからだ。
今自分の金で飯を食べるようになって親のありがたさもわかるし、生きるってこういう事なのかーと、僅かだが感じるし考える。
話わ変わるが早稲田の魅力はやっぱりなんと言っても『集まり散じて人は変われど仰ぐは同じき理想の光』の国歌からも分かるように、必要な時にしか集まらないし、集まったら恐ろしい。在野精神の賜物であろう。
つまり、我々は普通の早稲田生よりも数年早くそれが味わう事ができるし、染まる事が出来る。そして常に考えさせられる癖をつけさせられる。
だからサークルの、幹事長をする者が多数いたり、何かを司る者が多いのであろう。
この高校を出てよかったと思えるのは、大学を卒業したあとかもしれない。来たるその日に向けて受験生は、夢を膨らませて欲しいし、在校生は今のうちに、バカな事は済ませておいて欲しい。そして卒業生は迷惑をかけないで欲しい。
卒業生は改めて七年間、歌い継いだ校歌の意味を今一度考えて欲しい。間もなく130歳を迎える偉大なる学び舎の綱領ともいうべき校歌だ。咀嚼すればするほど活力になる。その思いを胸に、今日も他が為に生きようじゃないか。
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