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2011年9月14日 (水)

【63】恩師

4期生 原岡 修吾さん

入学してすぐのホームルームで担任の先生が次のような話をされたことを今でもよく覚えています。
「少ない校則だけど、それすら守っていない先輩を見かけるかと思う。君たちは、一回はすべての校則を守りなさい。そしてどうしても納得がいかなければ従わなくてもいい」
千葉県流山市の規律の厳しい公立中学校を卒業した私は「校則は自分の判断で守りなさい」という言葉に戸惑いを隠せませんでした。

さらに、授業中(国語)に居眠りをしている生徒がいた時のエピソードも当時はショッキングでした。
先生は居眠りをしている生徒に質問をしようと名前を呼びました。彼が寝ぼけ眼で何とか答えようとした時、
「○○君、ゴメン。君が居眠りをしていたからワザとあてた訳ではない。もしどうしても眠たかったら寝ていてもいい。例えば、睡眠不足になる程夢中になっているものがあれば、それを一生懸命やれば良いと思うよ。その世界を極めることができれば国語の授業中に少し居眠りすることくらいしょうがないことだ」と言って授業を続けたのでした。(特に夢中になるようなテーマもなく、若さ故の惰眠をむさぼっている生徒にとってはちょっと辛い話ですね)
別の日にこれと似た内容ですが、「例えば数学でノーベル賞を受賞するような人は他のことは多少ダメでもいいんだ。ただし、栄光をつかむまでの道のりは険しいぞ」という話も覚えています。

先生は我々を「生徒」としてではなく「大人(の一歩手前)あるいは後輩」として見ていたのだと思います。そして我々の未知なる可能性を信じて単なる国語の教師としてではなく、人生の先輩の立場で指導をしていたのだと、今さらながら恵まれた3年間だったと感じます。

校則や居眠りの話以外にも「深いイイ言葉」がありますので、記憶の範囲でご紹介します。

●「要領が良いと人に思われた瞬間、その人は要領が悪いということだよ」
→あまり要領に頼らずに、一歩一歩努力することが大切だというメッセージです。(当時の学院生は「要領よしの器用貧乏」が多かった?)

●「女性を追っかけまわさないでも、自分を見てくれている人はいるんだよ。」
→決してイケメンではなかった先生が素敵な方と結婚をされた時のことばです。

●「本庄市を闊歩するのは10年早い」
→創立してまだ4年目だった本庄高等学院。約8割がホームステイということで本庄市内は学院生で溢れていました。主に部活やホームステイごとの集団で本庄市内を闊歩(徘徊?)して、時には地元民にとって迷惑な存在だったかもしれません。
まずは「学院生が地元から認められること、そして溶け込むことが大切だ」という教えだと私は解釈しています。
※ちなみに早大生が早稲田界隈で闊歩するのはOKだということもこの時に話をされていました。

学院の教育方針の一つでもある「自ら学び、自ら問う」ことを自由な環境のなかで実践できたのは先生の温かいご指導があったからこそだと、今では素直に感謝の気持ちでいっぱいです。
高橋広満先生、本当にありがとうございました。

<追伸>
私はこのリレーエッセイに投稿するのは3回目です。1、2回目はホームステイ生活について、そして今回は先生について綴ったわけですが、ホームステイで個性溢れる仲間たちと寝食を共にした環境、そして親元を離れて生活していた我々を見守っていた先生方の存在が本庄高等学院の原点だと思います。
時代は移り変わり、現在は共学でさらに新しく「寮」ができます。どんな新しい文化ができるか、OBとして楽しみにしています。

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