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2011年12月 7日 (水)

【68】SSHとしての学院

23期生 小山 達也さん 

 初めて投稿させていただきます、23期生の小山達也と申します。現在、御縁がありまして、本庄高等学院に非常勤講師として舞い戻ってきています。教員という立場のため、学院生の輪に混じって「紺碧の空」を歌うということは控えていますが、再びこの校舎に通える日々に喜びを感じています。
 今、本庄高等学院は来年度の新校舎完成、ホームステイ廃止・寮の創設と新しい時代を迎えていますが、今回はもうひとつの本庄高等学院変革のキーワード、「SSH」についてお話したいと思います。

 本庄高等学院は平成14年度より、高度な理数教育を行うSSH(スーパーサイエンスハイスクール)に文部科学省から指定を受けており、現在、その中でも中核を担う存在として、コアSSHに指定されています。一口に「SSH」と言っても、各校多種多様な取り組みをしており、本庄高等学院では、海外の学校との「科学を通じた」国際交流を中心に取り組みがなされています。もちろん、SSH指定前からかなり高度な理数教育がなされていたと思います(たとえば、本庄卒業生の多くが苦しんでいたであろう、裳華房の数学の教科書も高校生としてはかなり高度なものです)が、この「理数教育と国際化」というのが、本庄高等学院のカラーを大きく変えたと言っても過言ではないと思います。
 私自身が在学していたころは、まだ初期だったこともあり、SSH関連の国際交流プログラムは限られたものでしたが、現在、その数は二十以上にもなり、その門戸が広がっただけでなく、こういったプログラムが生徒の間では「あるのが当たり前」という意識に変わってきています。また、本庄高等学院と国際交流協定を結ぶ学校も増えてきており、生徒が数多く派遣されたりと、海外というものがより近い存在になっています。ただ、周囲の一般の高校を見る限り、これは「当たり前」ではなく、非常に恵まれた環境であり、この多感な高校生時代に海外へ赴き、同年代の外国人と触れ合ったりというのは非常に刺激的で、以後の生活のモチベーションも大きく変わってきます。
 私自身、幸いなことに2004年にオーストラリアで開かれた国際科学フェア、2006年に台湾で開かれた鉄人コンテストに参加させていただきましたが、幼少時から本庄で育ち、本庄高等学院にも地元推薦で入学したほどの「本庄っ子」で「井の中の蛙」状態であったため、そのインパクトは非常に大きなものでした。研修先で知り合った友人とやりとりをするために、必死で英語力を上げようと努力したり、海外の高校生の勉学への熱心な態度に驚き、普段の学習意欲が増したり、彼らの持つ、自分とは異なる文化に興味を持ったり。そして、何より、これまで感じでいた海外との壁のようなものがなくなったという感覚が最も重要であったように思います。

 「国境を越えるのは若ければ若いほどいい」
 私に「きっかけ」を作ってくださった恩師の言葉です。当初は実感の湧かなかった言葉ではありましたが、学院時代に多くの経験をし、今となってはこの言葉が身に沁みます。グローバル化が叫ばれる昨今、より広いフィールドで活躍できる人材を輩出する可能性を、本庄高等学院のSSHプログラムは持っています。
 この恵まれた環境を十分に利用し、大きな舞台を踏むことの楽しさを感じてもらいたい、そして、更なる高みを目指して羽ばたいていってほしい、それが、本庄高等学院の教員として、先輩としての私の願いです。

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