2012年3月28日 (水)
【72】第三十回稲稜祭~成功への挑戦、その答え~
28期生 服部 優陽さん
はじめまして。28期生の服部優陽と申します。このエッセイを書いている現在は、学院にまだ在籍している高校三年生という身分です。社会に出て、活躍されている皆様のすばらしいエッセイの中に、まだ高校三年生という青二才の拙文を掲載させていただくことはいささかのためらいを覚えたのですが、学院の「中」から書くというのは今しかできないということと4期生の原岡様、香川様の後押しもありまして、掲載させていただく運びとなりました。
私は昨年の稲稜祭、つまり三十周年であり、現校舎最後となる稲稜祭の実行委員長を務めさせていただきました。『本庄高等学院通信 緑風』からの転用ではありますが、様々な意味で大きな転機を迎える稲稜祭を運営するにあたって思ったこと、感じたことを書かせていただこうと思っております。高校生向けの文章ですので、失礼に当たる部分もあるとは思いますが、この文章を読んで、皆様が学院に在籍されていた当時のことを思いだし、懐かしんでくれれば幸いでございます。
「とりあえず、今年の稲稜祭は大きく変えよう!」
これが今年の稲稜祭実行委員たちの第一声でした。
三十周年という節目の年。
現校舎最後の稲稜祭。
それは早稲田大学本庄高等学院「第一世代」の最後の稲稜祭でもありました。
このメモリアルな年に集まった実行委員のモチベーションは実に高く、何も言わずとも今年の稲稜祭の位置づけをしっかりと認識している面々でした。そのモチベーションの高さゆえに、今年の委員会は最初から侃々諤々の議論となりました。
パンフレットはもっと見やすく、おもしろく、統一感のあるものしよう!校内装飾だってきちんとテーマを決めて、統一感のある装飾をしよう!イベントはマンネリ化が進んでいるから、この際ガラッと変えてしまおう!三十周年だし、多くの人に来てもらいたいから広報に力を入れよう!クラス企画も、食品系はフードコートみたいにまとめて、来場者にわかりやすい配置にしよう!
・・・とにかく、今年の稲稜祭はひと味もふた味も違かったよなぁ。まさに革命って感じだったよなぁ。・・・そんなことが言われるような稲稜祭にしてやろうぜ!このように今年の実行委員会はまさに意気軒昂。三十周年であり、現校舎最後となる稲稜祭は革命するにはうってつけといわんばかりの勢いでスタートしました。
このように「革命」を旗印に、飛ぶ鳥を落とす勢いで始まった第三十回稲稜祭でしたが、三十年来続いてきたものを変えるということには、やはり大きなリスクや反発を伴います。多くのアイデアが否定され、消されていきました。良かれと思って進める企画も、必ずしも全員の賛成が得られるわけではなく、むしろそのリスキーさゆえに反発を受けることも多々ありました。そういったことが続くと、革命するのはいいが、もし失敗したときには、この記念すべき稲稜祭を大失敗という形に終わらせてしまう・・そんな重圧がのしかかってきます。それでも委員会の面々はくじけませんでした。一度掲げた旗印はおろさない。死に物狂いでこの「革命」を成功させてやる。委員の目には、いつしかそういった不撓の精神が宿っていました。
そんな中、生まれたスローガンが「Try to Hit」です。
これを並び替えると「to Thirty」になるという、第三十回稲稜祭にふさわしいスローガンです。ややもすると、並び替えだけに目が行ってしまうこのスローガン。しかしこのスローガンにはもう一つの意味がこめられています。「Try to Hit」、訳は「成功への挑戦」。そう、このスローガンには、革命が成功するのかわからない不安。さまざまな障壁、成功への重圧。そういったものをすべてはねのけ、必ずや成功させてやる!という強い意志が込められているのです。このスローガンが制定されて以降、委員会はこの「成功への挑戦」にますます果敢に挑むようになっていきます。
パンフレット部門ではいろいろな高校のパンフレットを収集し、一番見やすい形はどれだろうと考えて、ゼロから三十周年早本仕様のパンフレットを作りました。広報部門では多くの人に稲稜祭を知ってもらおうと、HP、稲稜祭ブログの開設、稲稜祭PVの制作、各駅でのビラ配りなど今年からの新たな取り組みを多く行いました。
装飾部門では毎年乱雑に張られ、とても見栄えの悪かったポスターを規制し、一つのポスターに力を注いでもらって、ポスターコンテストを実施しました。モニュメント部門では去年のクマの轍を踏まぬようにと、細心の注意を払いながら三十周年にふさわしいケーキを作成しました。立体の横断幕も作成しました(が、壊れてしまいました(笑))。
クラス企画では食堂に食品系クラスを集めることで、体講Aなどのいわゆる「ハズレ」の教室をなくし、さらに来場者にわかりやすい配置になるようにしました。同時にクラス企画コンテストも開催しました。
イベント部門では男子校時代の風潮を引き継いだイベントや、マンネリ化が叫ばれていたイベントをなくし、新たなイベントを創設しました。
抽選で当たる早稲田グッズプレゼント企画もありました。このように一部を書き出すだけでもけっこうな量になってしまうさまざまな「革命」に挑戦していきました。
このような様々な挑戦を続けているうちに、テストが終わり、稲稜祭も間近。今年は例年に比べ、各クラス企画の動き出しがとても早く、学院生の稲稜祭に対する熱気が渦巻いていたと思います。夏休みの段階から準備をしているクラスもありました。それに触発されて他のクラスでも準備が始まる。さらに、有志団体やイベントの出場者にもこの風潮は伝染し、非常に良い連鎖反応が起きていました。学院生全員から感じられる、革命の風潮。今年の稲稜祭を全力で楽しもうという強い意志。
そんな中、迎えた稲稜祭当日。今年のクラス企画は、ついぞ見たことがないほどのハイクオリティなクラス企画が出そろいました。
各種ステージは練習の成果を存分に発揮する団体や、練りに練られた企画を行う団体で埋め尽くされました。
中庭では各種コンテストに投票してくださる来場者の方々の楽しそうな表情、その途中経過を見つめる、学院生のいささか緊張した面持ち、ケーキのモニュメントの前で写真を撮る人々の笑顔、自分たちの企画を宣伝する学院生の活気に満ちた顔。
このように、十人十色の表情で稲稜祭を楽しんでいる人々であふれかえっていました。「あふれかえっていた」という表現は決して誇張ではなく、今年の来場者数はなんと2841人を数え、去年の来場者数と比較すると30パーセントの増加でした。
そんな楽しみ、楽しませた稲稜祭も終わりに近づき、迎えた後夜祭。学院生にとっては稲稜祭最大の目玉イベントであり、「早稲田」が前面に押し出されるイベントでもあります。今年からの新イベントも出場者のみんなの頑張りもあって大いに盛り上がりました。早稲田魂を持ち合わせたワセコン出場者、突然の指名にも怖じけずに出てくれた逃げちゃダメだの出場者、完成度の高い芸を披露してくれた一発芸出場者、大観衆の前で思いのたけをぶつけてくれたIを叫ぶの出場者、そしてこれらを盛り上げてくれた学院生、本当にありがとうございました!今年の学院生は掛け値なしに最高の学院生でした!
そして後夜祭の目玉、應援部ステージがやってきます。
自分はこのステージが、本当に、本当に大好きです。全員で肩を組み、飛び跳ねる『紺碧の空』。腕を天に突き上げ謳う『早稲田大学校歌』。このステージでは普段はなかなか見られない、学院生の早稲田魂が発露します。圧倒的なまでの一体感、見知らぬ人とも盛り上がってしまう早稲田らしさ。特に『紺碧の空』は筆舌に尽くしがたい「何か」があります。應援部主将が言っていた「断然、学院生のほうが紺碧の空を愛している!」心底その通りだと思います。「何か」の正体はわからないけど、『紺碧の空』は確実に学院生のアイデンティティーです。この曲を歌っているとき、早稲田でよかったと痛切に感じます。そして気づきます。自分が早稲田を愛しているということに。
・・まぁ紺碧に関しては、今更僕がぐだぐだ言う必要もないですね(笑)
僕個人に関していうと、このステージでの紺碧がこのメンバーで、この場所でできる最後の紺碧だと思うと、なぜか涙があふれてきました。大事な「何か」が今終わろうとしている、胸をえぐられるような思いでいっぱいになりました。そして気づきました。『紺碧の空』は、曲という概念を超えて、もはや自分の高校時代の代名詞になっているのだと。そんな感傷に浸っていると、耳に流れ込んできたのは「集まり散じて 人は変われど 仰ぐは同じき 理想の光」という名調子。もう何もいうことはありません。自分が今、この場所にいられて本当に良かったと思えました。幸せでした。
楽しかった稲稜祭も終わりの刻を迎えます。
「今年の稲稜祭、楽しかったですか?」と聞いたときの歓声は、今でも耳に残っています。
それは革命の成功を告げる福音。終焉を告げる音でもあり、次世代の夜明けを告げる音でもありました。このとき感じた感情は、言葉では言い表せません。ただのうれしいでは足りない、今まで経験したことのない素晴らしい感情でした。
革命、を掲げて突っ走ってきた実行委員も同じだったと思います。ここに至るまで、幾度も心が折れそうになりました。でもそんなのはもう関係ない。今は自分が実行委員長をやらせてもらえて、こんなにたくさんの素晴らしい人々に囲まれて、第三十回の稲稜祭を行えたことを心の底から感謝しています。
学院生のみんな、ありがとう!この稲稜祭ができたのは、みんながみんなだったからです。
嘉来先生をはじめとする、先生方、ありがとうございます!いろんな無茶な要望をかなえようとしてくれたからこそ、この稲稜祭ができました。
同窓会の方々、生協の方々、チーム早稲田の方々、警備の方々、バスの方々、ホームのホストさん、保護者の皆様、ありがとうございます!皆様が尽力して下さったから、この稲稜祭ができました。
そして実行委員のみんな、ありがとう!今年初めて実行委員になった人を委員長に据えて、それでもこの稲稜祭ができたのはみんなが一生懸命に仕事をしてくれたからです。たくさん衝突して、議論して、それでもみんなが向いてる方向は「成功」の二文字で。陳腐な言葉だけど、誰か一人でも欠けたら、ここまでできなかった。本当にありがとう!
・・・そんな多くの人の頑張りが結集してこの稲稜祭はできました。この素晴らしい稲稜祭の実行委員長であったことを誇りに思います。「成功への挑戦」は大成功でした。
最後に、ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
本庄高等学院は来年から新校舎へ移行し、その形を大きく変えようとしています。
稲稜祭をはじめとする、さまざまな行事が変わっていくと思われます。
こういう大きな変化を迎えるに当たり、我々学院生だけでは、至らない部分も多々出てくるはずです。
その際には、これまで以上の卒業生の皆様の温かい支援や知恵をお貸しいただけることをお願いし、結びとさせていただきます。
「同窓生リレーエッセイ」カテゴリの記事
- 【83】稲稜祭での自主映画上映を終えて(2016.11.30)
- 【8】学院の変化@17期(2009.06.03)
- 【7】応援王国の中の早大本庄応援部(2009.05.27)
- 【6】稲稜祭の想い出(2009.05.13)
- 【5】本庄食(2009.04.29)
■コメント