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2012年5月 2日 (水)

【73】「部屋と町(まち)飯(めし)と私」

13期生 犬飼 俊介さん

昨年の暮れのことである。社会人10年目にもなろうというのに、世間知らず過ぎる自分を恥じ、ビジネス交流同好会主催の『税のトリビア』に参加させていただいた。その二次会でのこと。私は、同期にして同会会計係の山下の口から信じられない情報を耳にした。

「無くなるんだってな、ホームステイ」。

一瞬、わが耳を疑った。そして、よりにもよって山下の口から、この事実を知らされたことに歯噛みした。

(ホームステイ生でもなかったお前が、苟(いやしく)もステイの存廃を軽々しく口にするなッ!)

すんでのところで手にかけるところであったが、場の空気を読み、自重した。

「ホームステイ町田」。この言葉の響きの中には、私という存在そのものにかかわる秘密が隠されている。この名を聞くたび、私は厳粛な気持ちになるのである。

それは、2年生の期末試験、初日の事であった。

前夜、私はエジプト研究で知られる長谷川奏先生の選択授業、『世界史』の勉強の総仕上げに取り掛かっていた。コーヒーと眠眠(みんみん)打破(だは)でハイになっていた私は、かつてない自分の勉強量と、見事なまでに整理されたノートに、一人酔いしれていた。

長谷川先生の授業は、今でも覚えているが、授業というより、一種のエンターテイメントであった。独特の鷹揚とした語り口で、緩急をつけながら、古代史における名場面や名勝負を、実況中継のように物語るのだ。

「時に紀元前200年。イベリア半島を制圧したカルタゴの将軍・ハンニバルは、象の大軍をひきつれて一路、アルプスを目指した。皚皚(がいがい)たる雪原をたたえたアルプスの山々。その稜線から、突如なだれのように、象の大群が姿を現したのである。虚を突かれどよめき立つローマ軍。その命運やいかに。本日の授業は、ここまでである」。

私は、あまりの面白さに、授業は当然ながら皆勤、指定席は最前列の中央だった。

翌朝。私は、カーテンから差し込む朝日の中、誰かがドアをたたく音で目を覚ました。目をこすって上体を起こした私は、ベッドから下り、数歩先のドアを自分で開けた。

そこにはホームステイ町田のホスト、町田(まちだ)登(と)世子(よこ)さんが携帯を持って立っておられた。

「いました!!」

突然、甲高い声でおばさんは叫んだのである。いました?…胸に違和感がさざめき立つ。ここは、まぎれもなく自分の部屋。入学以来、自分のこの部屋を実家以上に愛し、親しんできたのだ。それに、月々いくらの入居費も支払っている。もっとも、一度滞納してご主人の皓(こう)次(じ)さんに、館内放送で「犬飼~いぬかい?」とダジャレ交じりに呼び出されたことはある。しかし、そのときだってちゃんとすぐに謝って耳をそろえて納入したのだ。したがって、私にはここにいる権利がある。町田に住む権利が!それにもかかわらず、登世子さんは、ひきつった顔で、携帯電話の向こうの誰かに、私の存在を報告し続ける。

「まだ、いました!!」

その時、私は、霧が晴れるように理性を取り戻した。まだ。…まだ。まだ(・・)、私(・)は(・)ここ(・・)に(・)いた(・・)の(・)か(・)。

目の前にはっきり見えた目覚まし時計の文字盤は、11:00を指し示そうとしていた。と同時に、体内のすべての血が逆流するのを感じた。

(やっても~た~~!!)

気づくと私は、能面のような顔のまま、車の助手席に乗っていた。隣には、町田ご夫妻のお嬢さんで、私たちがひそかに町娘(まちむすめ)と呼んでいた女性がハンドル
を握っていた。

「安全運転で、急ぎますね!」

ステイ生ですらほとんどお会いした事のない“町娘”。その面立ちは、うわさ通りの麗しさだった。しかし…ほとんど初対面の上、よりにもよって、このような形でお世話になるとは…。彼女の明るい声色の裏に潜む、気遣いが痛かった。思春期真っ盛りの私が、期末試験ブッチの衝撃に加えて被った、精神的ダメージの大きさを、拙文をお読みの諸兄には、ぜひ忖度していただきたい。

ホームステイ制度終了の報を耳にした私は、先日、十数年ぶりに「ホームステイ町田」に電話をかけた。そして、私は、電話口の登世子さんにこう告げた。

「ホームステイ町田にいたおかげで、私は今、ここでこうして社会人をやっていられるんです」

おばさんは、電話の向こうで笑いながら「うれしいこと言ってくれるじゃない」と軽やかにおっしゃった。しかし、私は一生忘れないだろう。私の言葉には人生の奈落に落ちかけた私を、確かにおばさんが救ってくださったという、重い“実感”が伴っているということを。

今でも時々夢に見る。本庄のアピタの前の電話ボックスから、鼻水交じりに、なりふり構わず長谷川先生に救済を訴えた、あの日のことを。そして、長谷川さんの苦笑いを。

※タイトルと本文は特に関係ありませんが、町(まち)飯(めし)が非常に美味しかったことは、まぎれもない事実であります。

2012年2月28日 犬飼記す。

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■コメント

ビジネス交流同好会副会長(!)の山下です。

いやぁ,この話は何回聞いても(読んでも)笑えるね。要領悪すぎ!!まぁ,人のことは言えませんが。。。
しかし,その不器用さが,我々の,本庄生の良いところだと確信しています!!

ホームステイは無くなっても,その文化,そこで培われた心意気は,永遠に本庄生のDNAとなって受け継がれることでしょう!!

とか言いながら,犬飼君ご指摘の通り宅通生なんですけどね(笑)。

投稿: 山下隆輝 | 2012年5月 2日 (水) 10時47分

本庄ネタで書くとすると、これか、もしくは自転車で浦和まで帰宅した話ぐらいだけど、自転車話は山下に書かれちゃったしな。でも学生時代を振り返ると、美のある事は全然覚えてないのに、本庄虫とか、豪雨で橋桁が落ちた話とか、そんなどうでも良い事ばっかり鮮明に覚えてるよね。だからそういう事しか書けないという言い訳ですが。

投稿: 犬飼俊介 | 2012年5月19日 (土) 23時25分

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