2013年1月30日 (水)
【79】学院生の親子関係
22期生 小塚 俊吾さん
昨年末,あるテレビ番組で「夢を持てない子ども」が取り上げられていました。私はそれを両親と一緒に観ていたのですが,そのときに幼児~小学生向けの英語教室で講師をしている私の母が「最近の子は「将来何になりたいの?」と聞いても何も答えない。昔だったら「お花屋さん」とか「ウルトラマン」とか(現実的かどうかはともかく)何かしらの答えがあったのに…」という話をしていました。
更に母は続けて,「最近のお母さんは子どもを褒めない。褒めるのは英語教室の先生とかお稽古事の先生がするから,それでいいと思っているみたい。」という話もしていました。
最後に父が「最近の親は自分のやりたいことを我慢できない。周囲に様々なことを任せ過ぎている」と話を締めました―
* * * * *
「何故そんなことを同窓会のリレーエッセイに書くの?」と思われる方もいらっしゃると思います。ここで上記の内容を取り上げた理由は,私が学院生であったときと,その時代以降の学院生とでは「学院生の親子関係」が変化してきているように感じており,また冒頭で母が触れていたお母さんたちは,現在の学院生よりも更に若い世代を育てていることから,「学院生の親子関係」は今後更に変わっていくのではないかと考えたためです。
さて,話は4~5年ほど前に遡ります。
当時,理工学部生だった私は,ホーム生の定期試験対策のために理系科目の講師としてしばし学院時代にお世話になったホームに足を運んでいました。そのときにホストさんと話をする機会があり,ホームに毎晩子どもの様子を心配して電話をかけてくる親御さんがいらっしゃるということを,話してくださいました。
電話をかける理由は色々とあるのかもしれませんが,当時の私の意見は「そんなに心配ならば,子どもをホームに預けるな」でした。親御さんにしてみれば子どもを心配されてのことなのかもしれませんが,それ以前に自分の子どもを信用することはできないのだろうかと勘繰りたくなりました。子どもを信用しているのであれば,「あの子は無理をしない」「あの子は何かあれば誰かに相談して解決するくらいのたくましさはある」と考えるはずです。信用しているのであればわざわざ毎晩電話をかけるということはしないはずです。ことわざにある「かわいい子には旅をさせよ」の心構えが必要ではなかったのでしょうか。
ちなみに私がホームに入っていたとき,私の両親が毎晩ホストさんに電話をかけるということはありませんでした。両親がしてくれたことと言えば,郵便局の口座に私のホームでの生活費を振り込むことぐらいでした。
ところで,白河桃子・常見陽平 著『女子と就活』(中央公論新社,2012)によれば,親が子の就活にうるさいくらいに介入するケースが増えているが,本当に就活中の子に提供すべきサポートは3点あり,それは(1)カネ,(2)コネ,(3)ココロ,だそうです。「(1)カネ」は就活にかかるお金,「(2)コネ」は素敵な社会人との接点をつくる(※就職先をあっせんすることを指すわけではありません),「(3)ココロ」はココロのサポート,帰れる家を用意する,を指しています。
上記内容は親が子を学校に送り出すときのこととも重なるのではないかと私は考えています。親は子のやることなすこと全てに介入するのではなく,「(1)カネ」=「学費・生活費」,「(2)コネ」=「学校に通わせることによる先生方,友人との出会いの機会」,「(3)ココロ」=「ココロのサポート,相談に乗ること」,をサポートすべきではないかと思うのです(全ての親が子に対して過干渉になっているとは思いませんが…)。
ここで冒頭の話に戻りますが,夢は自分で持つものですが,同時に社会との接点を持たずに持てるものではないと思います。親は子に対して,何か努力して上手くいったならば褒めてあげる,うまくいかなかったら励ましたり助言をしたりする,といったことをすることで,子はあることに対して努力することの意味を知り,やる気を自らの内に養っていくと思います。特に子は世の中に何があるのかを(楽しいことから悪いことまで全てについて)を大人と比較すると知らないわけですから,先のようなやりとりを繰り返して,親は人生の先輩としてたくさんの選択肢を示すことで,子と社会との接点を増やし,将来について考えるきっかけを作ること,夢を持つこと,更に一般的な言い方をすれば,子が主体性を持つことにつなげることが必要だと思います。「あれをやれ」「これをやれ」と言うだけでは子を押さえつけるばかりで,子は社会との接点を見出せないと思うのです。
上記のような本来は家庭で身に付けるべき主体性を学院や早苗寮が指導して学院生に身に付けさせなければならなくなった暁には,学院の自立・自律の矜持が泣くことでしょう。もちろん,10代後半の学院生に大人並の判断力を持てということは酷ではあると思いますが,少なくとも学院生は主体性を持っていなければ,自立・自律というものを会得できないと思います。
特に学院という学校は普通の高校とは異なります。先生方は教員免許をお持ちの各分野の専門家ですし,広大なグラウンドが代表するように,多少の不便はあるかもしれませんが,立派な施設に恵まれています。このような恵まれた環境で,本来は家庭でなされるべきであることのために,学院が資源を費やすということは実にもったいないと思います。学院は学院生が主体性を持って行動することで真価が発揮される学校であると私は考えています。
ご存知の方も多いかと思いますが,連合艦隊司令長官であった山本五十六の言葉の1つに以下のようなものがあります。
「やってみせて,言って聞かせて,やらせてみて,ほめてやらねば,人は動かじ。
話し合い,耳を傾け,承認し,任せてやらねば,人は育たず。
やっている,姿を感謝で見守って,信頼せねば,人は実らず。」
私は今でも学院は自立・自律の象徴であると認識しております。自ら道を切り開く,気概のある学院生が1人でも多く輩出されることを願ってやみません。
そのためにも,学院生の親御さん,また学院への入学を希望されている中学生の親御さんには,ご子女に対してあれこれ口を挟み過ぎず,1人前の人間として接していただくことを願っております。
* * * * *
親批判のようなことを書いてきてしまいましたが,一方で学院生やこれから学院を目指す中学生の皆様には,親のありがたみを噛みしめていただきたいです。恵まれた環境で勉強その他の活動に取り組むことはお金がかかることであり,そのお金を出してくれるのは親である方がほとんどであると思います。学院のような恵まれた環境に身を置けることは幸せなことだと私は確信しています。
* * * * *
※お断り書き
私は現在独身で子どもは居ません。よって,私が親の気持ちを完全に理解できるはずはありません。ただ,会社で上司の下で働いたり,後輩に助言をしたりする中で,指導されること・することがあり,一緒くたにはできないかもしれませんが,「子育て≒社員育成」と思うところはあります。
また,私自身の大学卒業までを振り返ると,両親や親戚からの支えが多くあり,それがどのようなものだったのかを考えると,称賛の言葉,助言と意見,そして経済的な支援でありました。
以上を踏まえて行き着いたのが本エッセイです。生意気に聞こえるところがあるかと存じますが,一意見としてお読みいただけましたら幸いです。
「同窓生リレーエッセイ」カテゴリの記事
- 【83】稲稜祭での自主映画上映を終えて(2016.11.30)
- 【8】学院の変化@17期(2009.06.03)
- 【7】応援王国の中の早大本庄応援部(2009.05.27)
- 【6】稲稜祭の想い出(2009.05.13)
- 【5】本庄食(2009.04.29)
■コメント