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2016年11月30日 (水)

【83】稲稜祭での自主映画上映を終えて

13期生 犬飼 俊介さん

 2016年10月22・23日に開催された第35回稲稜祭にて、私が企画した自主映画「魔法使いの弟子」を上映する機会を与えていただきました。

 この映画は、私が現役学院生だった今から20年前、美術科教諭として当時から学院生の親父的存在であった吉田茂樹先生との出会いに、そのきっかけをさかのぼることができます。

 当時、高校3年生最後の文化祭を目前に、これといった目標も実績もないことに焦っていた私は、当時たまたま映画館で観た「スピード」という映画をヒントに、「URBANDASH」という映画を作ることを思いつきました。ストーリーは、主人公の高校生が"爆弾魔"の高校教諭の罠によって、森に住むクマと一緒に、時速15キロ以下になると爆発する自転車に乗ってしまう、というものでした。その教諭役として出演してくださったのが、吉田先生でした。

 映画は無事完成し、稲稜祭で上映することができました。同級生が声をあげて笑い、画面にくぎ付けになる姿を目の当たりにし(映画で身を立てたい!)と考えました。大学に進学後、第一文学部の文芸専修を志望したのですが、色々とあり、英文専修に。それでも何とか"映画に役立ちそうなこと"にかかわりたかった私は、シェイクスピアを学ぶことにしました。サークルも"浪人街"という映画サークルに所属しました。しかし、結局映画は一本も撮ることなく、立て看板やチラシを作る日々。映画のエキストラのバイトで、資金難にあえぐ現場を見て、早くも志がぐらつくのを感じました。その後さらにいろいろあって、今はラジオ番組の制作者として、糊口をしのいでいます。

 それでも、高校時代に感じた"感動"の味は、忘れがたいものでした。いつか、吉田先生を主役に、映画を撮りたい。何の後ろ盾も、資金も、技術も何もないのに、その思いばかりが募っていました。そして、ある日吉田先生に電話をかけてその思いを伝えると「去年退官したので時間がある。全面的に協力する」と、二つ返事で話に乗ってくださったのです。まさしく私が現役学院生だったころと同じノリで、応じて下さったのです。

 本業のラジオ制作を通じ、物語を組み立てる作業には多少のノウハウがありましたが、他はほぼ手探りでした。それでも、私の企画を信じ、手弁当で助けて下さる奇跡のような多くの方との出会いによって、キャストがそろい、撮影を完遂することができました。

 早稲田本庄高等学院同窓会の皆さんの全面的なご協力も頂きました。映画の企画プレゼンの席で、初対面同然の私に、役員の皆さんから、当日OKを出していただきました。また、学院の現役教諭の皆様にも、相当なご負担とご面倒をおかけいたしました。映画の撮影を、保健室でも行わせていただきました。このような万全の受け入れ態勢と熱いご支援の輪があればこそ、今回のような企画が円満に執り行われたのです。改めて、ご関係の皆様に、厚く御礼を申し上げます。

 2日にわたる上映では、現役学院生を含む100人のご来場を賜り、大変感激いたしました。

 映画では、本庄市の風景や、児玉郡、及び群馬県鬼石の自然も切り取らせていただきました。私が現役学生のころ、このような豊かな美しい風景を知らずに過ごしていたことに、ロケ中ずっと無念さを感じていました。ぜひ、現役学院生の皆さんには、沢山のよい出会いと美しい自然に親しむ機会を、自ら求めていただきたいです。

 今後私自身、まだまだ手探りで寄り道の多い人生を歩んでいく気がしておりますが、吉田先生のようなかけがえのない恩師に巡り合わせていただいた御恩に感謝し、引き続き楽しく歩んで参りたいと思います。

【以下余談の情報です】
12月に、東京での無料上映会も企画しております。もし、お時間に余裕がありましたら、ご来場ご検討ください。
詳しくはこちら>>

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