同窓生リレーエッセイ

2016年11月30日 (水)

【83】稲稜祭での自主映画上映を終えて

13期生 犬飼 俊介さん

 2016年10月22・23日に開催された第35回稲稜祭にて、私が企画した自主映画「魔法使いの弟子」を上映する機会を与えていただきました。

 この映画は、私が現役学院生だった今から20年前、美術科教諭として当時から学院生の親父的存在であった吉田茂樹先生との出会いに、そのきっかけをさかのぼることができます。

 当時、高校3年生最後の文化祭を目前に、これといった目標も実績もないことに焦っていた私は、当時たまたま映画館で観た「スピード」という映画をヒントに、「URBANDASH」という映画を作ることを思いつきました。ストーリーは、主人公の高校生が"爆弾魔"の高校教諭の罠によって、森に住むクマと一緒に、時速15キロ以下になると爆発する自転車に乗ってしまう、というものでした。その教諭役として出演してくださったのが、吉田先生でした。

続きを読む "【83】稲稜祭での自主映画上映を終えて"

2014年4月 2日 (水)

【82】『かけがえのない本庄学院の卒論』

22期生 小塚 俊吾さん

Essay0082_01

1 はじめに
 私は4年前に早大理工学部を卒業して就職しました。それからちょうど4年が経ちました。与えられることが多かった学生時代と異なり,社会で働くようになってからは,技術者として何かを送り出すことが圧倒的に多くなりました。これを遂行するためには,自分で基準を決め,検証をし,結論を導くことが必要です。
 大卒の方の多くが卒業論文(卒論)を執筆することで,上記のような流れを経験することになると思いますが,これについて,私の場合は,大学の卒論よりも,本庄学院の卒論での取り組みの方が印象に残っています。
そこで,私の本庄学院での卒論執筆経験を交えて,本庄学院で卒論に取り組む意味を改めて考えてみました。

続きを読む "【82】『かけがえのない本庄学院の卒論』"

2013年12月25日 (水)

【81】早苗寮のこと

15期生 羽田 真さん(本庄高等学院教諭)

 同窓生の皆さん、こんにちは。15期の羽田です。2012年4月に寮が新設されて以来、本庄高等学院の寮担当主任を務めています。今回は教員であり同窓生であるという立場から、リレーエッセイの場をお借りして、早苗寮の紹介をしたいと思います。

 同窓生の皆さんの中には、委託ホームがなくなってしまったことに寂しい思いを抱いている方も多いでしょう。私も委託ホームで3年間を過ごし、そこで得た経験は何にも代え難いプライスレスのものでした。

続きを読む "【81】早苗寮のこと"

2013年7月10日 (水)

【80】付属校の絆

24期生 長沢 知諭さん

一般の学生には浸透していないかもしれませんが付属校の應援団体は東京六大学付属高等学校応援団連盟という組織で連携を取っています。本庄高等学院應援部は1993年にこの組織に加盟しました。
私が現役時代に行ったのが最後になってしまいましたが付属校で合同の発表会として連盟祭「六旗の集い」というものもありました。私の時が第43回ということで東京六大学応援団連盟が主催する「六旗の下に」に匹敵する非常に伝統ある会でした。しかし、各校人数不足や共学化などに伴う組織の再編、会場の手配などの諸問題があり、現在は開催が見送られています。

Essay0080_01
写真1:2007年12月23日 第43回 六旗の集い

続きを読む "【80】付属校の絆"

2013年1月30日 (水)

【79】学院生の親子関係

22期生 小塚 俊吾さん

 昨年末,あるテレビ番組で「夢を持てない子ども」が取り上げられていました。私はそれを両親と一緒に観ていたのですが,そのときに幼児~小学生向けの英語教室で講師をしている私の母が「最近の子は「将来何になりたいの?」と聞いても何も答えない。昔だったら「お花屋さん」とか「ウルトラマン」とか(現実的かどうかはともかく)何かしらの答えがあったのに…」という話をしていました。
 更に母は続けて,「最近のお母さんは子どもを褒めない。褒めるのは英語教室の先生とかお稽古事の先生がするから,それでいいと思っているみたい。」という話もしていました。
 最後に父が「最近の親は自分のやりたいことを我慢できない。周囲に様々なことを任せ過ぎている」と話を締めました―

続きを読む "【79】学院生の親子関係"

2012年8月15日 (水)

【78】最後の早慶戦

15期生 町川 高明さん

早稲田大学の年間行事において、欠かせないイベント ――― 早慶戦。
現在ではさまざまな種目の対抗戦がありますが、今回取り上げるのは早慶戦の起源となった野球です。

早慶両校の野球部対抗戦は、日本野球の創成期において大変な人気を博しました。
東京六大学野球連盟の結成、各地のアマチュア野球の形成、プロ野球の発足へと続く
日本野球の礎となり、その発展に大きく貢献しました。

本庄高等学院が開校された1982年4月よりも遥か昔、
1943年10月16日に「最後の」早慶戦が行われたことを皆さんはご存知でしょうか。

続きを読む "【78】最後の早慶戦"

2012年8月 1日 (水)

【77】アジアと本庄高等学院のエネルギー

1期生 栗原 克文さん

 はじめまして、1期生の栗原と申します。初めてリレーエッセイに投稿します。

 最近いくつかのアジアの国々を訪問する機会がありました。アジアの国といって一くくりにすることはもちろんできませんが、いずれの国でも成長真っ只中にあるという印象を強く持ちました。成長は自動車数の急増にも表れ、多くの国の首都では渋滞はひどく、ある国で私が「ひどい渋滞ですね。」と現地にいる同乗者に話したら、「これは渋滞といいません。」と言われてしまいました。

続きを読む "【77】アジアと本庄高等学院のエネルギー"

2012年7月11日 (水)

【76】OG、新校舎から早稲田を学ぶ

27期生 木暮 美季さん

新校舎が使われる様になってから、母校の早稲田大学本庄高等学院には行ってないけれど、
新校舎については色々な意見が交わされてる。

きれいだとか
羨ましいだとか。

でも
新校舎に対して肯定的でない人だっている。

私も最初はびっくりしたし、
あの旧校舎に遊び行くことはもうないのか、と思うと少し寂しい。
若いけれど、でも三十年もの歴史が詰まっていた。

続きを読む "【76】OG、新校舎から早稲田を学ぶ"

2012年6月20日 (水)

【75】さらば青春の光

2期生 蜂屋 康隆さん

 「くそ ハードな1日だったぜ。」男は苦虫を噛み潰したような顔でつぶやいた。せっかくの週末だというのに今日も泥まみれで働いた。『早く家に帰りシャワーを浴びて町にくりだそう。』そう思いながら愛車のアクセルを踏み込む。外はあいにくの暴風雨だ。きしむタイヤの音、ステアリングを握る手に力が入る。今日のボスはなぜか機嫌がよかった。こんなことは年に2、3度のことだ。いやな胸騒ぎがする、気分をかえよう。
『そうだ。今日はあの店にしけこむとするか。』男は愛くるしい笑顔のママの顔を思い浮かべた。その店Sは敵の縄張りのど真ん中にあるが、魅力的なママ、マスターの料理、男には最高の店だった。急ハンドルできびすを返し、アクセルを踏み込む。

続きを読む "【75】さらば青春の光"

2012年5月16日 (水)

【74】早大本庄あいうえお(さ行)

またまた本庄を語るキーワードを思い出してみました。今回は「さ行」です。
20年以上 前の男子校時代のボキャブラリーなので経年劣化はご容赦下さい。

あ行 | か行 | さ行

さ:「サイドリーダー」。
学年ごとに実施日の異なる洋書読破の確認テスト。通称「サイリー」。ほぼインターバル無しに課題が課せられるため、学院生活で必ず一度は泣かされる。駅前の本屋に訳本が売っているとの噂があったが、全くの都市伝説。

続きを読む "【74】早大本庄あいうえお(さ行)"

2012年5月 2日 (水)

【73】「部屋と町(まち)飯(めし)と私」

13期生 犬飼 俊介さん

昨年の暮れのことである。社会人10年目にもなろうというのに、世間知らず過ぎる自分を恥じ、ビジネス交流同好会主催の『税のトリビア』に参加させていただいた。その二次会でのこと。私は、同期にして同会会計係の山下の口から信じられない情報を耳にした。

続きを読む "【73】「部屋と町(まち)飯(めし)と私」"

2012年3月28日 (水)

【72】第三十回稲稜祭~成功への挑戦、その答え~

28期生 服部 優陽さん

はじめまして。28期生の服部優陽と申します。このエッセイを書いている現在は、学院にまだ在籍している高校三年生という身分です。社会に出て、活躍されている皆様のすばらしいエッセイの中に、まだ高校三年生という青二才の拙文を掲載させていただくことはいささかのためらいを覚えたのですが、学院の「中」から書くというのは今しかできないということと4期生の原岡様、香川様の後押しもありまして、掲載させていただく運びとなりました。
私は昨年の稲稜祭、つまり三十周年であり、現校舎最後となる稲稜祭の実行委員長を務めさせていただきました。『本庄高等学院通信 緑風』からの転用ではありますが、様々な意味で大きな転機を迎える稲稜祭を運営するにあたって思ったこと、感じたことを書かせていただこうと思っております。高校生向けの文章ですので、失礼に当たる部分もあるとは思いますが、この文章を読んで、皆様が学院に在籍されていた当時のことを思いだし、懐かしんでくれれば幸いでございます。

続きを読む "【72】第三十回稲稜祭~成功への挑戦、その答え~"

2012年3月21日 (水)

【71】バレーボールに明け暮れた3年間

28期生 木下 浩平さん

私は3年間バレーボール部に所属していました。中学校でバレーボールに出会った私は、埼玉県でも有数の弱いチームに所属していました(笑)。我がチームは県大会はおろか、地区大会でも初戦敗退が続くチームでした。

続きを読む "【71】バレーボールに明け暮れた3年間"

2012年3月14日 (水)

【70】「年度」という文化

23期生 山口 翼さん

日本には「年度」という言葉がある。年度によって、色々な物事が区切られる。例えば、企業の決算であったり、学生の私からすれば1つの学年が終わったりする。もうじき、成績発表かとも思う。また、区切りをつけるために、卒修論に励んだりもする。つまり、日本は年末より年度末の方が忙しかったりする。

続きを読む "【70】「年度」という文化"

2012年1月25日 (水)

【69】このエネルギーと情熱と、その根源にあるもの

3期生 上原 空也さん

現在、様々な企業において年間100本を超すセミナーや勉強会の講師をつとめている。
また、来年からは500社以上の日本の経営者で結成された某団体において継続的にセミナーや勉強会の講師をつとめる予定である。

これらは、全て本業である過激に多忙な弁理士業に加える形で行なっており、クライアントや周囲の人間から「不死身の上原」、「どこからあのエネルギーが?」と囁かれている(らしい)。

このエネルギーや情熱の根源は、今の仕事がとても好きだ、ということに起因するのはもちろんである。

しかし、より深いところでは、人生のうち最も多感であり、人格のかなりの部分が白紙の学院生時代、尊敬する恩師から「君たちは、これから進む様々な分野で日本を創って行く人材なのだ。」ということを繰り返し刷り込まれたことにあると思う。

続きを読む "【69】このエネルギーと情熱と、その根源にあるもの"

2011年12月 7日 (水)

【68】SSHとしての学院

23期生 小山 達也さん 

 初めて投稿させていただきます、23期生の小山達也と申します。現在、御縁がありまして、本庄高等学院に非常勤講師として舞い戻ってきています。教員という立場のため、学院生の輪に混じって「紺碧の空」を歌うということは控えていますが、再びこの校舎に通える日々に喜びを感じています。
 今、本庄高等学院は来年度の新校舎完成、ホームステイ廃止・寮の創設と新しい時代を迎えていますが、今回はもうひとつの本庄高等学院変革のキーワード、「SSH」についてお話したいと思います。

続きを読む "【68】SSHとしての学院"

2011年11月23日 (水)

【67】多様性を育んだホーム制度

22期生 小塚 俊吾さん

今年度で学院のホーム(ステイ)制度が廃止され,来年度から自宅外通学生は現在建設中の生徒寮に入寮するそうですね。
先日,稲稜祭に出かけた際に,建設中の生徒寮を見てきました。
写真をアップさせていただきます。

Essay0067_01 Essay0067_02

* * * * *

続きを読む "【67】多様性を育んだホーム制度"

2011年11月16日 (水)

【66】ホームスティ高仁

11期生 佐藤 順哉さん

今年も朝晩限らず肌寒くなってきて秋の深まりを毎日感じる季節になってきた。冬を目前としたこの時期になると今年こそはスキーにいきたいなぁと毎年思う。スキー → 湯沢→ 関越自動車道 → 本庄児玉インター → 早大本庄・・・という連想の流れでこの時期になると頭の中で高校時代を思い出すことが多い。

スキーといえば高校時代は仲間たちと夜行バスに乗り野沢温泉や草津に何回か行った。何事も親に連れていってもらっていた中学時代と違い、自分達で毎月の仕送りの中から節約しお金を積み立てて計画を立てて、自分達だけで旅行にいくことに興奮したものだ。草津国際スキー場には同じホームスティ(現呼称ホーム)の友人らと行った。

続きを読む "【66】ホームスティ高仁"

2011年11月 9日 (水)

【65】校舎のこと

1期生 竹鼻 恭一さん

私は現在、建築の設計という仕事に携わりながら、週末はラグビースクールで子供たちにラグビーを教える、という日々を送っています。
建築とラグビー。今の自分にとって、とても大切な基盤なのですが、この2つに出会えたきっかけが、本庄高等学院への入学でした。
創成期の本庄ラグビー部については、同期の洲戸 渉君が素敵なエッセイ「第14回:本庄でのラグビーとの出会い」を書いていますので、私は建築、すなわち本庄高等学院の校舎との出会いについて語りたいと思います。20期生の白井 純平君が「第28回:校舎」というエッセイを寄せてくれていますが、私のは、その「前史」です。

続きを読む "【65】校舎のこと"

2011年10月 5日 (水)

【64】本庄学院の航空写真

3期生 長谷川 均さん

 過去のリレーエッセイでも、新幹線通学や、本庄早稲田駅のお話を書いている方がいらっしゃいます。鉄道関係の会社に勤めておりますので、新幹線のお話でもと思い、いろいろ調べていたら。面白い、ホームページに出くわしました。

 「電子国土ポータル」です。

 言わずと知れた、国土地理院、日本の地図の総本山です。基本となる地形図を作っているお役所ですね。最近は、様々な民間企業や検索サイト運営会社がインターネット上で地図や航空写真を公開しており、ほんとに便利になったものです。Googleのストリートビューなどは、事前に見て行くと、一度行ったような感じで、道に迷うことが無くなりました。プライバシーなど、いろいろ問題もあるようですが。

 で、「電子国土ポータル」の面白いところは、過去の空中写真があることです。1974-78年、1979-83年、1984-86年、1988-90年、現在の5つです。

続きを読む "【64】本庄学院の航空写真"

2011年9月14日 (水)

【63】恩師

4期生 原岡 修吾さん

入学してすぐのホームルームで担任の先生が次のような話をされたことを今でもよく覚えています。
「少ない校則だけど、それすら守っていない先輩を見かけるかと思う。君たちは、一回はすべての校則を守りなさい。そしてどうしても納得がいかなければ従わなくてもいい」
千葉県流山市の規律の厳しい公立中学校を卒業した私は「校則は自分の判断で守りなさい」という言葉に戸惑いを隠せませんでした。

続きを読む "【63】恩師"

2011年9月 7日 (水)

【62】校歌を国歌に。

23期生 伴 卓さん

こんなタイトルを書くと、偏った考えのように思われるが、本来本庄高等学院は『早稲田大好き人間養成所』でなくては困る。
都の西北は第二の国歌であると同時に、自称最高学府であってもかまわないと私は思う。
つまり、それ位早稲田に染まることが出来るものが卒業して欲しいし、単なる大学進学への通過点であってはならない。

私はこの春社会人になり、言わば人生の本格的な道を歩み始めたわけである。
税金も支払わなけば行けないし、仕送りなんてのも無い。責任は全て自分の手の内にある。つまり、同時に自由もまたその裏側にあるという事だ。

こんな考えを教えてくれた先生は本庄にいた。それはなぜか?

続きを読む "【62】校歌を国歌に。"

2011年8月24日 (水)

【61】回顧のススメ ~ 同窓の繋がりについて ~

15期生 町川 高明さん

二回目の投稿になります。前回は本学の入試制度について述べましたが、今回も比較的固有の話題ということで同窓会活動について語りたいと思います。

私が本学を卒業し社会人になってから8年が経ちますが、日々の生活に追われ母校との接点がないままでした。きっかけはホームカミングデーの案内が自宅に届いたことから母校を顧みるようになりました。

皆さん母校があると思います。小学校、中学校、高校、大学、・・・人によってさまざまとは思いますが、社会に出るまでの時間を過ごした場所があるはずです。そこには、級友や恩師との思い出とともに今の自分を形成した過程が刻み込まれていることと思います。それは写真などで懐かしむことはあっても追体験されることはあまりないでしょう。

続きを読む "【61】回顧のススメ ~ 同窓の繋がりについて ~"

2011年8月10日 (水)

【60】学院生はいつまでも学院生

26期生 保坂 昌志さん

私は現在大学二年生になりまして、早くも本庄高等学院ではOB二年目を迎えました。

正直、学ランを着て毎朝、東京駅と本庄早稲田を新幹線で往復していたころから、二年もたっているとは思えず、さらに言えば大学では、どちらかといえばまだ後輩、下の学年であるという意識の方が強いため、ついこの間までそんな意識はありませんでした。

続きを読む "【60】学院生はいつまでも学院生"

2011年8月 3日 (水)

【59】オレはプロだから。

13期生 山下 隆輝さん

 私は自分の自転車の運転に強い自信を持っている。

 特に根拠はなく、ただの思い込みだが・・・。
 それでも、私が自転車の運転に自信を持っているのは、本庄高等学院での3年間の自転車通学の経験によるところが大きい。いや、それが全てと言っても過言ではない。

続きを読む "【59】オレはプロだから。"

2011年7月27日 (水)

【58】学院生活と卒論

4期生 大熊 健さん

早稲田本庄を卒業して23年になります。友人から原稿を頼まれたのですが、ネタがないので取り敢えず卒論のことを書きます。

卒論では参考文献を明確にして、根拠をきちんと説明することを求められました。会社で長年法務関係の仕事をしていますと、上司への説明においては根拠、出典を重視されることが多かったので、その点卒論とは共通点がありました。

続きを読む "【58】学院生活と卒論"

2011年7月20日 (水)

【57】新幹線通学

22期生 石島 健登さん

3月に大学を卒業し、今年から社会人としてのスタートを切りました。
新しい環境で新しい人との出会いで話題に上がるのは大学でのことの他、高校でのことも上がることがあります。
高校の話になって思い出すのが学院への通学です。

続きを読む "【57】新幹線通学"

2011年7月13日 (水)

【56】修学旅行(北京)

10期生 秋本 浩良さん

出張でシンガポールに行ってきました。
仕事上海外に行くことは、めったになく2年ぶりの海外出張でした。
初めてシンガポールに行ったのですが、街はきれいに整備されており、日本と変わらない印象を受けました。
お客さんの関係もあり、ホテルは某携帯電話会社のCMで流れている屋上にプールがあるホテルに泊まりました。
あのホテルに宿泊している時点で本当に仕事?と疑う人も多いのですが、本当に仕事だったとことを強調しておきます。

続きを読む "【56】修学旅行(北京)"

2011年7月 6日 (水)

【55】本物の「ゆとり」

27期生 川島 祥吾さん

はじめまして、27期生の川島祥吾です。
今回は初めてのリレーエッセイなのですが、私が早本の一番の特徴だと感じている附属のゆとりについて書かせていただきたいと思います。

「貴校は大学受験がないので、普通の高校生が受験勉強に費やす時間を興味のある分野の勉強等に有意義に使っていきたいです。」

続きを読む "【55】本物の「ゆとり」"

2011年6月22日 (水)

【54】【トリビア】D棟が無い!?

9期生 越坂 淳さん

本庄高等学院の校舎は、A棟からJ棟全体で「早稲田大学92号館」とされ、コンクリート打ち放しの現代建築然としたハード面のみならず(1986年に第27回建築業協会賞を受賞)、教科別教室棟での授業など、全国的にも珍しい教育建築だと思います。
その校舎も竣工30年でいよいよ新校舎にその座を譲るということなので、この機会に長年の疑問を解き明かします。

続きを読む "【54】【トリビア】D棟が無い!?"

2011年6月15日 (水)

【53】卒業論文について

学院19期卒業生の津田です。
今回のエッセーでは、卒業論文について徒然書いてみます。

「本庄高等学院には卒論がある。」

この話題になると、しばしば、
「高校なのに卒業論文があるの?」と聞かれます。

続きを読む "【53】卒業論文について"

2011年6月 8日 (水)

【52】α選抜について

15期生 町川 高明さん

「早稲田大学本庄高等学院」(以下、本学)の入試制度の一つ「α選抜」について語りたいと思います。
私はこの制度を通じて入学した者の一人なのですが、私の体験が本学を志望する方々に少しでも参考になれば良いなと思います。

それは溯ること中学3年の秋、父親の誘いで「慶應義塾湘南藤沢中・高等部」の文化祭を見学に行ったことがキッカケでした。
自宅から電車に揺られて3時間近くもかけて湘南藤沢キャンパスに行ったことを覚えています。今にして思えば、何故はるばる他校の文化祭を見に行くことになったのだろうかと疑問に思いますが、私の受験を意識してのことではなく、父親の仕事関係だったと思います。

続きを読む "【52】α選抜について"

2011年5月25日 (水)

【51】早大本庄あいうえお(か行)

4期齊藤さんに引き続き、本庄を語るキーワードを思い出してみました。
1990年代初頭・男子校時代のボキャブラリーなので経年劣化はご容赦下さい。

あ行 | か行 | さ行

か:「籠原大移動」。
宅通生用語。帰宅の上り高崎線では籠原駅で車両が増結される為、座席確保のため乗客が一斉に移動すること。学院生はその脚力を活かした「籠原ダッ シュ」で座席をキープする。

続きを読む "【51】早大本庄あいうえお(か行)"

2011年5月18日 (水)

【50】【トリビア】本庄虫

9期生 越坂 淳さん

110518_01

本庄虫【ほんじょう-むし】

[概要]
夏期に本庄近辺で大発生する昆虫。血は吸わない。体長2~3mmくらい。明るい物に群がる習性があり、白Yシャツのポケットなどに入り込んでいる ことがある。
学院生が最も恐れる虫。

続きを読む "【50】【トリビア】本庄虫"

2011年5月11日 (水)

【49】早稲田が、本庄高等学院が大好き

27期生 木暮 美季さん

初めてリレーエッセイを書かせて頂きます、27期生の木暮です。
今回は自分が3年間在籍した応援部を通じて考えたことを書きたいと思います。

**********

5月2日に母校を訪れました。
最後に訪れたのは学部ごとの進学セミナーの時でしたので2月25日だったと思います。
2か月と少しぶりということになりますが、かなり時間が経ったように感じました。
相変わらず本庄早稲田駅周辺は工事のため騒がしくなっていましたが、青々とした大久保山はまるで「お帰り!!」とでも言うように出迎えてくれました。
「心のふるさと」だと思いました。

続きを読む "【49】早稲田が、本庄高等学院が大好き"

2011年3月 9日 (水)

【48】僕らはイキイキしているらしい

20期生 白井 純平さん

 一日にたくさんのメールが行き交う。メールを受け取ると誰から来たのかを即座に確認する。表情が一瞬変化するときもあれば、微動だにしないときもある。表情は少しずつだが豊かになる。僕も成長するにつれ表情は豊かになったのだと思うが、面と向かわずにコミュニケーションを交わす時代に育ったため、人類レベルで考えると表情が乏しいサイドにいるのかもしれない。

 昨年の入社式後の懇親会のことである。ちょっとした出会いがあった。

続きを読む "【48】僕らはイキイキしているらしい"

2011年2月23日 (水)

1992年度稲稜祭パンフレット、1993年度新入生向け学院情報誌「Wasedas」

9期生 越坂 淳さん

◎1992年度稲稜祭パンフレット >>

Pdf09002_2

◎1993年度新入生向け学院情報誌「Wasedas」 >>

Pdf09001_3

応援部に所属していた私共は、それまで「乱痴気騒ぎの扇動者」として教務から睨まれておりました。
そうした中、何とか応援部のプレゼンス向上と学院の活性化、あわよくば新入生の応援部への入部勧誘を目的に、応援部メンバーが生徒会・稲稜祭実行委員会に潜り込み、私は副会長・実行委員長としてこれら刊行物を発刊したものです。
なお、Wasedasは前年度1992年度版もありますが、生徒会に当時書記として潜り込んでいた私の作戦ミスから発行予算が獲得できず、わら半紙・リソグラフ刷りとなってしまいました。

いずれも、今読むと「よく教務がOKしたな」と思う際どい記述も見受けられますが、なんとも鷹揚な雰囲気の学院であったことをしみじみ思います。

2011年2月16日 (水)

【47】去りゆく者、そして。

23期生 伴 卓さん

 先日、27期生を対象に本庄高等学院にて本会の説明会を開催させていただきました。
 説明会で会の存在を知り、このエッセイを読んでくださっている卒業生の方々、少し早いですが、改めまして卒業おめでとうございます。これで晴れて皆さんも同窓会の一員になることができます。その一方で、私も来月末で学生生活に終止符を打ちます。

 7歳から始まった義務教育。16歳から23歳までの早稲田での生活。学習期間のおよそ半分を私は早稲田で過ごしました。人が成長していく過程で変わっていくように、本庄高等学院(以後、学院と略す)もまた変わっていきます。一年ぶりに降り立った本庄早稲田駅で初めに驚いたのは、校舎を取り巻く環境でした。少し大げさですが、山岳地帯にあったはずの学校が、大分周囲から目視できるまでになっています。周囲の山々が切り崩され、土地開発が進んでいました。
 学校も一見変った様子はありませんが、何かが違う。別に女子生徒が歩いているからというわけではなく、空気と言うか、匂いと言うか、何かが変わっている。しばらく経つと、単に自分が変わったのかと考えたが、やはり何かが違う。
 学院は今、大きな変革期の中を進む帆船の様な状態ではないでしょうか。風の読み方を間違えれば進まないし、時に停滞を余儀なくされる。何もしなければ、行くあてもなくさまよってしまう。卒業生と現役学生を含めると、8,000人程の乗組員が乗船していた船です。

続きを読む "【47】去りゆく者、そして。"

2010年11月24日 (水)

【46】11月23日

23期生 山口 翼さん

私にとって、11月23日は単なる勤労感謝の日ではない。

私が早稲田に行きたいと決めた日である。

毎年、11月23日はラグビーの早慶戦が行われている。

私は中学生の頃、父に無理矢理秩父宮ラグビー場に連れて行かれ、ルールも何も知らないラグビーを観戦させられた。
見ているうちに、細かなルールは分からなかったが、1つの楕円球を相手陣地までもって行きトライを決めると言った、大まかなルールが分かり、試合に見入っていた。

試合は早稲田が勝ち、早稲田が好きなった。

それを気に、高校受験で早稲田の付属高校に入学したいと思った。

11月23日は私にとって、勉学をさせるモチベーションと早稲田との縁を近くした、人生の分岐点と言っても過言ではない日である。

2010年11月17日 (水)

【45】「本庄早稲田の杜 まちびらき」に参加して

11期生 佐藤 順哉さん

9月29日付の1期岡崎さんのエッセーで10月24日(日)に「本庄早稲田の杜 まちびらき」があることを知った。その日は仕事もなくせっかくの機会であるので久しぶりに母校と愛する本庄市を訪ねるべく、家族を連れて関越を走らせて本庄へ行ってきた。

事前にネットで調べて行ったがいまいちこのお祭りの主旨が理解できないまま会場に行った。式典が行われ、本庄市長、衆議院議員、国土交通省員などのご挨拶があった。要するに、南はさいたまスーパーアリーナをはじめとする旧大宮市、旧与野市を主とするさいたま市が埼玉県の玄関になっているが、県北には玄関がない状態であるため、本庄早稲田駅及び、本庄早稲田駅周辺の開発を切っ掛けとして「県北の玄関の表札」をかける式典、との説明があった。なるほどである。

続きを読む "【45】「本庄早稲田の杜 まちびらき」に参加して"

2010年11月10日 (水)

【44】ワセダの歌

22期生 小塚 俊吾さん

前回、ここにリレーエッセイを投稿したのは昨年の10月、大学4年生のときでした。
それから半年経った今年4月、私は就職して故郷の埼玉を去り、
愛知県民になりました。

* * * * *

話は遡ること就職する1週間前に行われた早稲田大学の卒業式のこと。
『校歌』、『紺碧』、『栄光』と3曲の合唱がありました。
本庄学院の卒業生、特に音楽選択だった方はご存知ですよね?
順に『早稲田大学校歌』、『紺碧の空』、『早稲田の栄光』です。
この3曲を知っているのは私にとっては当たり前だったのですが、
自信を持って歌える人って案外少ないと思います。
(とかいう私も『栄光』の歌詞はうろ覚えでしたが…。)
特に大学からワセダに入った人は早慶戦に行ったり体育会の活動をしない限り、
校歌を歌うのは入学式と卒業式だけ、なんてざらにあるようです。
ちなみに、卒業式で隣の席に居た石神井の学院出身の友人は
『栄光』が流れた時は困惑していました。

続きを読む "【44】ワセダの歌"

2010年10月20日 (水)

【43】本庄の思い出

1期生 原 淳さん

卒業して、かれこれ26年になります。
あの大久保山で過ごした3年間は今でも鮮明に覚えています。

私は、入学当時両親が海外にいたため、一人で受験し、入学、入寮の手続きをして3年間の高校生活がスタートしました。最初の1年は沖電気の社員寮を帰国子女専用の寮に仕立て上げたところに住んでいました。初めての地に、初めての人たち。行くまでは少し心配しましたが、同じような境遇の仲間がいて、すぐに溶け込むことが出来ました。
そこから自転車で20分ほどに母校がありました。

続きを読む "【43】本庄の思い出"

2010年10月 6日 (水)

【42】同窓会と自分

23期生 伴 卓さん

同窓会ホームページをご覧の皆様、23期生の伴です。今日は、この私たち本庄高等学院の同窓会役員がどの様な活動をしているかについて紹介しながら、改めて感じる本庄の魅力をお伝えできればと思います。

間もなくしますと、皆さんのお手元に第3回ホームカミングデーの葉書が届くと思います。

続きを読む "【42】同窓会と自分"

2010年9月29日 (水)

【41】いよいよ、『本庄早稲田の杜 まちびらき』

1期生 岡崎 吉宏さん

1982年、学院1年の晩秋に上越新幹線が開通した。
しかし駅のない本庄は素通りするだけ。
僕たちは、茫漠とした杜と田園に囲まれた大久保山の頂で、その駆け抜ける音をなんとなく聞きながら、勉学に励んでいた(はず)。

時は経ち、6年前に市民待望の新幹線新駅が出来た。周辺の区画整備も進み、早稲田を核としたまちおこしが形に見えてきた。

そして今年10月24日(日)、本庄早稲田駅周辺エリアで、『本庄早稲田の杜 まちびらき』のイベントが開催されるそうである。学院OBである本庄市長も張り切っている。市民として大いに期待している。
本庄早稲田発の先進的な試みが大きく実を結ぶように、諸兄に絶大なる応援をお願いする次第である。

2010年9月 1日 (水)

【40】日本における応援のルーツを考える

18期生 高田 温さん

ご存知の方もいらっしゃると思いますが
私は高校、大学と応援部に所属しておりました。
早稲田と応援が本当に好きで高校三年時の卒業論文も
「日本における伝統的応援のルーツを考察する」
といったものを書こうとしていました。
(結局「リーダーシップ論」に変わってしまいましたが)

今でこそ光景は変わってしまったと聞いていますが
かつて野球応援や稲稜祭では学院生が狂ったように
校歌、応援歌、応援曲を歌っていました。

そこまで人を惹きつけるものとは何なのか?

続きを読む "【40】日本における応援のルーツを考える"

2010年8月25日 (水)

【39】本庄での記憶

4期生の大江です。

同期の原岡からエッセイを書くよう頼まれたのですが、なにせもう20年以上も前の事になるので、「よく覚えていない」というのが偽らざる気持ちです。
が、断片的になんとなく覚えていることをつらつらと書いてみます。

そもそも、勉強をした記憶が全くありません。

記憶にあるのは、県北特有のうだるような暑さの中、エアコンが効かない教室の一番後ろに陣取って、パンツ一枚で寝ていた自分・・・。

「万物の源は、水である」、毎回クラスを二分して、論議を戦わせていた冷牟田先生の倫理。

続きを読む "【39】本庄での記憶"

2010年7月28日 (水)

【38】9.11同時多発テロの想い出

3期生 上原 空也さん

このリレー・エッセイの本来の趣旨は、「本庄時代の思い出を書く」ことだったと思います。
しかしながら、昨日までかなりハードで複雑な事件のため出張にでており、帰宅後、Todoリストをみて、本日がエッセイの期限だと思い出しました。風邪のせいか、珍しく心身が疲労しており、20数年前の本庄時代の記憶が断片的にしか思い出せず、なかなか文章としてまとまりません。そこで、本エッセイの趣旨から外れて申し訳ありませんが、「一人の本庄生の卒業後の姿」として、社会に出てからの思い出深いエピソードを今回のエッセイのテーマにさせていただきます。

続きを読む "【38】9.11同時多発テロの想い出"

2010年6月30日 (水)

【37】マイコン

3期生 長谷川 均さん

 どうでもいい話ですが、グーグルで「長谷川均」って検索すると、国士舘大学の偉い先生と、早大本庄同窓会のホームページがヒットします。国士舘大学の方は、私ではないですが、早大本庄の方は私です。おそるべし、早大本庄同窓会。本当は、研究業績とかでヒットするとうれしいんですがね。

 さて、マイコンの話題。マイコンは「マイクロコンピュータ」ではなくて、「マイ、コンピュータ」の略です。たぶん。今でいう、パソコンのことですね。

 私が本庄にいた頃ですから、20年以上前ですが、パソコンのことをマイコンって言ってました。ビデオデッキすら御家庭に一台持っている人が、クラスに1~2人の時代ですので、マイコンを持ってる人は、チョーお金持ちか、よっぽどのヲタクです。すみません、ヲタクという言葉は当時ありませんでしたので、マニアですか。(このあと、古いネタが随所にちりばめてありますが、わからない人は読み飛ばしてください)

続きを読む "【37】マイコン"

2010年6月23日 (水)

【36】検索フレーズ(ワード)ベスト10

4期生 香川 裕英さん

昨年から続けているリレーエッセイ。同窓生の皆さんのご協力、本当にありがとうございます。

今回はちょっと趣向を変えて、本庄高等学院の同窓会ホームページにYahoo!やGoogleなどの検索エンジンからアクセスする際、どんな検索フレーズ(ワード)が多く使用されているかを集計してみました。

集計対象の期間は2010年1月1日~5月31日です。
学校名だけの検索や個人名(同窓生や先生の名前)での検索は対象外としました。
学校名(早稲田大学本庄高等学院や早大本庄など)と合わせて入力しているワードを独断と偏見で分類してます。

さて、検索エンジン経由でアクセスしている人はどんな情報を求めているのでしょう?

と言うわけで、早速、1位は!?

続きを読む "【36】検索フレーズ(ワード)ベスト10"

2010年6月 2日 (水)

【35】学院生の関心事

9期生 貞末 真吾さん

中学校で共学だったボクが、本庄に入学して驚いたことが「女子がいない」ということでした。(当たり前ですが)

多感な年ごろに、彼女はおろか、好きな子すら出来ないという悲劇は、学院生、ことにホームステイ生にとっては、今、抱える頭髪の後退より深刻だったと記憶しています。

そんな状況を打開すべく、一生懸命努力していたのが「コンパ」でした。
(最近では「合コン」ですが、当時はなぜか「コンパ」)

続きを読む "【35】学院生の関心事"

2010年5月26日 (水)

【34】デニッシュ自動販売機から学んだ自己責任という社会のルール

11期生 佐藤 順哉さん

体育館の入ったところにいつまであの機械はあったんだろうか。

つい先日、Eメールで嘉来先生にお願いしてご確認頂いたら、いまはもはやない、とのこと。
皆様方、ご記憶にありませんか?

100526_01

体育館を入った正面のところにパンの自動販売機がありました。デニッシュが売っており、腹が空く若者にとって学食と売店が閉まった後も小腹を少し満たすぐらいだが食べ物が買える心強い存在であった。
たしか味に関わらず一律で120円。
コインを入れて番号を押すと、ストンとショーケースの上の段から落ちてくる様が見ていても楽しい。米国からの帰国生だった僕は、よくそれをみてアメリカを思い出していたっけ。
この自動販売機から僕は社会人になった今でも教訓とする社会の規則を学んだ。

※写真は類似機種。もっと操作パネルが古かった記憶があります。

続きを読む "【34】デニッシュ自動販売機から学んだ自己責任という社会のルール"

2010年5月19日 (水)

【33】ホームステイ(パート2)

4期生 原岡 修吾さん

みなさんこんにちは。
2回目の投稿で恐縮ですが、今回も前回(2009年4月)に引き続き1985年頃のホームステイについて、記憶をたどって書いていきたいと思います。

現在の学院生はすでに大半が自宅通学生ですが、私が通っていた頃は生徒の約8割がホームステイ生だったので、今思えば当時がホームステイ全盛期だったといえます。
当時のホームステイにはいろいろと構成があり、一学年だけ、全室二人部屋、合計2、3人の少人数の所などもありましたが、私が二、三年生を過ごした「小池」はごく標準的なホームステイでした。(全室個室で一年生6人、二年生7人、留年生2人。※私が二年生当時)

続きを読む "【33】ホームステイ(パート2)"

2010年3月31日 (水)

【32】高校生活を振り返って

26期生 近藤 悠樹さん

私が早稲田本庄を選んだ理由「近い・朝が遅い・グラウンドがきれい・大学受験がない」。
私が早稲田本庄を選んでよかった理由「友人がそれぞれ個性を持ち、面白く影響を受けることができた・先輩、後輩の繋がりが厚く、さまざまな人と知りあえた・先生方を尊敬でき、憧れられるような先生に教われた」。
これが私の早稲田本庄での3年間の成長であり、収穫です。

続きを読む "【32】高校生活を振り返って"

2010年3月24日 (水)

【31】3年間を振り返って

26期生 石川 ありさ さん

「おいおい、こんな場所…お前大丈夫か?」

合格者の集いで父親が思わず発したセリフ。早本の異様な雰囲気に家族全員が圧倒されていた。先輩は変な奇声を発しているし、上半身裸でうろうろしているし。さらにニヤニヤ笑っている人もいれば、睨んでくる人もいるし本当に怖かった。東京港区に住んでいた私にとって、本当に何もない本庄は衝撃的で「まむし注意」の立て看板や禁猟区のポスターと目を疑うものばかりだった。父親の言葉に何も返せない自分がいた。今でも笑ってしまう、家族の中でもネタになっている話であるが、まだあの恐怖を覚えている。
「こんな動物園みたいな学校、大丈夫か?」
自分でも心配だった。

続きを読む "【31】3年間を振り返って"

2010年3月10日 (水)

【30】早大本庄あいうえお(あ行)

4期生 齊藤 修さん

もう20年以上前になる学院時代の思い出を考えていたら、次々と断片的な言葉が浮かんできた。たとえば、

あ行 | か行 | さ行

あ:「赤城おろし」。
もともと北関東出身なので、冬のからっ風は知っていたが、本庄のそれは想像をはるかに超えていた。いまでも、たまにこの風のことを知らない人に説明するのだが、ホラ話のように受け止められてしまうことが少なくない。冬場は風向きによって通学時間が倍以上ちがってしまうとか、部活のためにグラウンドに到着するまでに、体力のほとんどを使い果たしてしまうとか、実際に体験しないとあのスゴサは伝えられない。「あ」といえば、話題(?)の「アーバンダッシュ」もあるが、僕はこの言葉を本同窓会サイトではじめて知った。むかしも同様の行為はあったけど、そのようなネーミングはなかったように思う。

続きを読む "【30】早大本庄あいうえお(あ行)"

2010年2月 3日 (水)

【29】慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパスを訪れて本庄を思い出す

こんにちは、第16期の佐藤です。

本題に入る前に、、

この同窓生リレーエッセイという企画は、各年代のOB代表が文章を書いている訳なのですが、ついに2週目に突入しました。

皆さんはどう思われるか分かりませんが、この事実、僕はとても凄いと思います。ビックリです。こういった企画は継続するのがとても難しいわけです。というか、こんなことやっている同窓会って他校であるんですかね。

そして、一年間続けるだけでも凄いと思うんですが、つい先日の会合でなんと2年目の継続が決定されてビックリ仰天です。僕はこのあたりに本庄らしさを感じます。

みんな、どれだけ文章書くのが好きなんだよ。

僕はそう突っ込みたくなります。

続きを読む "【29】慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパスを訪れて本庄を思い出す"

2010年1月13日 (水)

【28】校舎

20期生 白井 純平さん

 高速道路のドライブで山が見えるたび、給水塔が見えた気がする…ちょっと言いすぎたかもしれない。あの給水塔は今でも僕にとってのシンボルだ。あの給水塔を目指す坂道を毎日歩き、帰りには坂道の駐輪所で自転車を探した。給水塔を目指しながら上ると右手に大教室の巨大窓がある。あの窓の裏では応援部ステージ、吉村作治先生の講演会や卒業式イベントの打ち合わせなどがあった。少し給水塔を目指して坂道を登ると大教室が思い出を見せてくれる。ちょっと思い出せば鮮明にあの校舎の姿が思い浮かぶ。

続きを読む "【28】校舎"

2010年1月 6日 (水)

【27】強い、どこまでも強い意思の力

13期生 山下 隆輝さん

 私は、つい先日、平成21年11月14日と同月27日、12年数ヶ月ぶりに早大本庄(以下「学院」という。)を訪れた。卒業式以来だ。
 弁護士という職業に就いていることで、「資格取得を視野に入れたライフデザイン~弁護士という仕事~」というテーマでの講演と刑事模擬裁判での裁判長役を引き受けてほしいとの依頼があり、母校の役に立てるのなら、これほど嬉しいことはないと、すぐに引き受けた。

 実に久しぶりに学院を訪れ、私は、変わったもの、変わらないものを一つずつ確認して歩いた。
 学院の周辺の様子はすっかり様変わりした。新幹線の駅、リサーチパーク。逆に、学院の校舎は、大教室の壁が塗り直された程度でほとんど変わらない懐かしい景色を残していた。売店のラスク(砂糖がゴッテリとまぶしてあって、いかにも体に悪そうなのだが、中毒症状をもたらす魅惑的な味だった。)を売り切れ前に手に入れるため、コーヒーブレイクに駆け込んだ食堂も、その様子はほとんど変わっていなかった。16歳から18歳までの間、自分の生活のほぼ全てだった景色が、変わらぬまま、そこにあった。

続きを読む "【27】強い、どこまでも強い意思の力"

2009年12月23日 (水)

【26】都の西北で

23期生 伴 卓さん

早稲田の人間なら知らないはずのないこの言葉、「都の西北」。3番まである校歌の歌詞を全部は歌えなかったとしても、この部分を忘れる卒業生はまずいないはずだ。もし居たとすれば、きっと何かの間違いで入学してしまったのだろう。
昨年行われた第2回ホームカミングデー。歴代の卒業生が本庄高等学院の食堂に集い交流する。今からお話しするのは、その最後に全員で校歌を歌った時の出来事である。

続きを読む "【26】都の西北で"

2009年12月16日 (水)

【25】先生との出会い

1期生 木鋪 万裕さん

本庄高等学院の1期生として約25年の月日が流れた。
今は仕事の都合で4月より松山へ単身赴任しており、東京と松山の往復の生活となっている。
松山といえば、現在NHKで「坂の上の雲」を放映中なので、ある程度のイメージがわくと思う。
道後温泉がある四国、愛媛県の県庁所在地である。
この度、たまたま本庄高等学院の同窓会サイトでリレーエッセイなるものが存在していることを発見した。
卒業生の一人として、昔を思い出しながら、当時の私の学院生活について少々ご紹介したいと思う。

続きを読む "【25】先生との出会い"

2009年11月25日 (水)

【24】早大本庄的カタマリ『小池の会』

4期生 香川 裕英さん

大学を卒業し、社会人となり、たまに同級生数人で集まって店で酒を飲むという集まりがある。懐かしい顔を見たり、懐かしい話をしたり、幸せな話、活躍している話などを聞くのは楽しい。いい刺激もある。

聞いた話では、部活OBで顧問の先生を招き温泉やゴルフ・・・なんて大人な集いもあったりするらしい。

『小池の会』またの名を『ホームステイ小池ツアー』は、ホーム(ステイ)小池で過ごした同期メンバーが大学1年(昭和63年,1988年)の秋から始め、既に20年を超えた毎年恒例の集まり。
簡単に言えば「泊まりの飲み会」だが、ホームステイ時代に戻ったような寝食を共にする集まりは早大本庄らしくていいものだと思う。
それは「あつまり」と言うより「カタマリ」と言った方がいいだろうか。

続きを読む "【24】早大本庄的カタマリ『小池の会』"

2009年11月 4日 (水)

【23】学院教育における自転車通学の意義

15期生 羽田 真さん

1.はじめに
 最近、自転車ブームだそうである。なるほど、原油高かつ不景気の昨今、経済的でしかもエコ、なおかつ健康的な自転車は注目に値する。自転車競技も盛んになり、学院でも自転車部がインターハイに出場するなど大活躍である。筆者も自宅から勤務先まで片道16kmの道のりであるが、晴れた日はできるだけ自転車(ロードバイク)で行くようにしている。
 さて本稿の目的は、学院教育において自転車が果たす意義について論じることである。自転車通学は学院教育に不可欠であり、今後一層推進すべく問題の解決に力を尽くすべきであることを示す。なお本稿の文責は筆者本人にあり、以下の見解はすべて筆者個人のものである(学院当局及び同窓会役員会の見解とは関係ない)ことを断っておく。

続きを読む "【23】学院教育における自転車通学の意義"

2009年10月14日 (水)

【22】野球部 創成期の思い出

1期生 山邉 裕道さん

野球場と見紛うばかりに、広さ・設備の整った現在の野球部練習グランド。そのため、練習試合に訪れる他校も多いとみられ、バックネット裏のスコアボード脇には相手チーム名の書かれたプレートが複数無造作に置かれている。そんな風景を見るにつけ、30年弱前、略同場所からスタートした早稲田大学本庄高等学院 硬式野球部創成期が脳裏に蘇る…。

学院設立当初、野球部の練習は、体育授業で使われるグランドの一角で、「有志」が道具を持ち寄って行われていた。フェンスなど無く、ボールが草むらに飛び込む度に【この付近 まむしに注意】の看板を横目に、恐る恐る探したものである。

続きを読む "【22】野球部 創成期の思い出"

2009年10月 9日 (金)

【21】レールを自由に敷かせてくれた学院

22期生 小塚 俊吾さん

私は学院に2003年4月に入学しました。志望動機は単純なもので「早稲田の理工に入りたい!」、ただそれだけでした。親孝行することを考えれば、"学院"ではなくて"石神井"に入るべきだったのですが、学院の入試問題との相性が良かったようです。

■学院との出会いとカルチャーショック
物心付いたころから鉄道ファンであった私は「将来は鉄道関係、特に車両の仕事をしたいっ!」と願っていました。それもあって、学院入学当時から将来は理工学部機械工学科に進学しようと決めていました。このような明確な目標があったので勉強は真面目にやりました。ホームの食堂で友人や先輩方が「ウィニングイレブン」に興じているのにも目をくれずに…。

続きを読む "【21】レールを自由に敷かせてくれた学院"

2009年9月 9日 (水)

【20】心あたたまる学院教育

10期生 庄司 健さん

政権交代が起こった。「友愛」という言葉を聞くようになった。
「人」という字は「人と人とが支え合う意」とは有名な話し。
人間は一人では生きていけない。

世の中の広告/CM/Webには色々な動物ペットらが頻繁に登場するようになって久しい。
人間は動物の純粋さにも心を奪われる、。

本庄高等学院時代(1991年度~1993年度)、上記に関連した資料が出てきた。

続きを読む "【20】心あたたまる学院教育"

2009年8月26日 (水)

【19】戦略的学部選びのススメ

6期生 小川 貴史さん

早稲田大学本庄高等学院(以下「本庄」)を卒業してから早いもので20年近くの時が経ちました。

16~18歳の最も多感な時期に大学受験の負担や制約を受けず、懐深い本庄の自由な風土の中で伸び伸びと過ごせたことや、そこで得た経験は本当に貴重なものであり、今の自分の大きな支えになっています。また、本庄に対する愛着も歳を重ねるごとに増して来ているような気がします。

過日、同窓会の幹事会で同窓会就職活動支援を拝命したこともあり、サブプライムローン問題を引き金とする世界的金融危機の影響により新卒マーケットが急激に悪化する中にあって、就職支援の面で少しでも後輩のみなさんのお役にたてればと思い、高校での経験を少し書かせてもらいます。

続きを読む "【19】戦略的学部選びのススメ"

2009年8月19日 (水)

【18】本庄高等学院の魅力

19期生 津田 学さん

最近、上司、同僚と食事、飲み会、休日のバーべキューなどで話している際に、高校の時の話をすることもしばしばあり、その都度感じるのですが、これだけ個性のある高校はなかなかないのではないだろうか。

たとえば、卒業論文を書かなくてはならないということ。

これは、自分の興味を半強制的に引き出すというとても有意義な学習であった、そう感じていた当時の自分を思い出す。
これは、本庄高等学院の個性なんだよなぁ。
もしかしたら、大学付属だと、卒業論文は行われるものなのだろうか。。
いや、それは早大本庄高等学院だからであると信じよう。
事実、同年代以上の知人で、高校で卒論を書いたというのは聞いたことがない。
(最近はSSHなども浸透してきており、珍しくないのかな?)

続きを読む "【18】本庄高等学院の魅力"

2009年8月 5日 (水)

【17】應援部と本庄

24期生 長沢 知諭さん

「無くなっては困るが、自分ではやりたくない部活」

そんな感じでよく同期の者からは言われていました。(笑)

やはり、厳しい部活と言うイメージによりなかなか人が入りにくく部員数も少なくなるという状況が本庄高等学院のみならずどこの高校でも起きているようです。
しかし、みなさんもご存じの通り稲綾祭などでの應援部のステージは本庄高等学院の名物と言っても過言ではないイベントになっていると感じられます。
そのステージで校歌・紺碧をみんなで歌ったから今も覚えているという人も多いのではないでしょうか。
早大学院の友人などに話を伺うと、應援部がないことで校歌や紺碧を歌う機会がなく、歌詞が全然わからないと言っていました。
そう考えると校歌や紺碧を元気よく歌えることも本庄出身者の特徴なのかなと思いました。

続きを読む "【17】應援部と本庄"

2009年7月29日 (水)

【16】成長って

8期生 小川 真司さん

先日、石川遼くんがTHEOPENから帰国した。
彼は高校一年生でありながらツアーで優勝、翌年のプロ宣言した高校二年でも1勝、そして三年生になった今年は、自らミズノオープンでの勝利により、THE OPENの出場権を獲得しあのタイガーウッズと互角に渡り合ったのである。本当にすごい高校生です。

一方の私はというと、高校一年のときに出場した関東ジュニア選手権予選のスタートホール、ティーショットを目の前の生け垣に打ち込みなんとスタートホールは13打を打ち敢え無く予選落ち。おかげで、いまだに朝イチのティーショットは緊張せずにいられない。その後、大学の体育局のゴルフ部に所属したが、目立った成績もなく(一応3・4年次はレギュラーでしたけどね)、卒業してそのまま就職。ツアープロになろうとなど、一度も思わなかった。

続きを読む "【16】成長って"

2009年7月22日 (水)

【15】早大本庄の強みについて考察する

11期生 佐藤 順哉さん

「あいつ、いっちゃってるよなぁ」
本庄時代に仲間達との間でよく使っていた言葉だ。これは最高の賛辞の言葉である。

そもそも私が中学時代に早大本庄へ入学を夢見出した切っ掛けは同じ中学の2つ上の渡辺先輩だ。渡辺さんはお互いオジサンになった今でも会う時間をつくってくれて盃を酌み交わしながら大事な意見をしてくれたり悩み話を聞いてくれる大事な先輩だ。そんな渡辺さんは中学時代からいっちゃっていた。中学の休み時間には学校の体操服の袖を破った自家製タンクトップを着て、腰にミニアンプをつけて中学校の廊下をエレキギターでイングゥエ・マルムスティーンを早弾きしながら闊歩していた。今も続けている私の趣味のギターも切っ掛けは彼。私は中学1年生まではどちらかというと授業中も他の事を妄想したり宿題も当日学校に行って朝に慌てて仕上げるタイプだったが、そんな渡辺さんが早大本庄に入ったことに触発され、猛勉強して追いかける様に私も早大本庄に入学。

続きを読む "【15】早大本庄の強みについて考察する"

2009年7月15日 (水)

【14】本庄でのラグビーとの出会い

1期生 洲戸 渉さん

このエッセイを書くにあたって、当時、監督に毎日提出していた「ラグビー日誌」(いわば選手と監督の交換日記)を久しぶりに読んでみた。

1983年11月29日からはじまって全国大会埼玉予選3回戦(行田工業戦)の1984年10月27日までびっしりと当時の思い、監督からの叱咤・激励が記されている。

最初のページに本庄ラグビー部の精神が記載されている。
「我々がラグビーをやるのは、名誉や地位のためではない。自己をコントロールすることの素晴らしさ、そこから生まれる友情・信頼の尊さ、感動による魂まで旋律の走る喜びを味わうためだ。」

続きを読む "【14】本庄でのラグビーとの出会い"

2009年7月 8日 (水)

【13】天然記念物

3期生 長谷川 均さん

全国の天然記念物を巡っている。ちょっと、じじくさい趣味だがこれが、非常に面白い。

早大本庄のすぐ近くにも天然記念物はある。本庄早稲田駅から500mほど高崎方面に高架下を歩くと、東富田観音塚という小さなお寺がある。そこにマツがあるので、ぜひ、本庄に来た時には寄ってみていただきたい。

天然記念物とは、文化財保護法や地方自治体の条例で定められた、文化財の一種である。国宝、重要文化財、無形文化財などは聴きなじみがあるだろう。それらと同じ文化財の一つである。国宝、重要文化財などが、人間が作り出したものに対して、名勝や天然記念物は自然のものである。国宝にあたる特別天然記念物が75件、重要文化財にあたる国指定天然記念物が1000件弱登録されている。そのほか都道府県指定がそれぞれの県で数十件づつ、市町村指定を加えると1万件以上になると思われる。

続きを読む "【13】天然記念物"

2009年7月 1日 (水)

【12】同窓会ってなんだろ?

12期生 尾碕 武俊さん

奇しくも自分の卒業期と同じ、12回目のエッセイを担当することになった、12期の尾碕です。
今回は、自分が日頃抱く奇妙な連帯感を種にして、徒然とつづってみたいと思います。

皆さんは、ふと出会った人が偶然同じ早稲田出身だということを知り、奇妙な連帯感を感じたことはありませんか?
私は職業柄、色々な職業・年齢の人と多く会うのですが、この奇妙な連帯感を何度も感じたことがあります。
「あれ、早稲田出身なんですか?」「えぇ、もしかしてあなたも?」「そうなんですよ!」「へぇー、それじゃ先輩ですね!」「ははは、びっくりだね」
こういった会話をすることも少なくありません。

続きを読む "【12】同窓会ってなんだろ?"

2009年6月24日 (水)

【11】都の西北 大久保山

2期生 田村 利光さん

留○生
『島田、ここか。』
『そうらしいな、天野。』
入学初日。初めてのホームルーム。全員が初顔合わせ。学ランのカラーのホックまで締め、どことなくぎこちない動きで長いすに座る。
そんな中、少し遅れて、第2ボタンまで外し、Yシャツの下のカラーTシャツまで見せて、あの2人が教室の入り口に立った。シーンとした教室にガムをくちゃくちゃ噛む音を響かせながら、かかとのつぶれた靴を引きずるように入ってくる。
そう、これが噂に聞いた留年生だ。
ただの不良でも、ただの年長者でもない、初めて遭遇する人種。彼らにしてみれば、集まり散じて人が代わった日。
私にとっては、本庄生活のスタート。

続きを読む "【11】都の西北 大久保山"

2009年6月17日 (水)

【10】本庄高等学院、それは山の学校 そして今

23期生 伴 卓さん

他の人より少し長かった高校生活を終えてもう3年目になる。そんな自分もついにリクルートスーツに身を包み企業の説明会に足を運ぶ。一方で、最近はOBの方々と会う機会も少しずつ増えている。まさに光陰矢の如し。自分の過去を振り返った時に感じる速さと、毎日を過ごすことの速さの差が、少しずつではあるが狭まってきているように感じる。そんな時間の推移の中で、紛れもなく本庄高等学院時代は私の財産である。

続きを読む "【10】本庄高等学院、それは山の学校 そして今"

2009年6月10日 (水)

【9】学院を卒業して25年が経つ。

1期生 岡崎 吉宏さん

開校当初は校舎も食堂も未完成で体育館もなかった大久保山に、国の内外から集った個性溢れる男達との学院生活は、本庄原人である僕にとって、異次元の扉を開けたように新鮮であった。学院でしか得られない青春が確かにあった。生徒も先生も地域にも、ゴツゴツとしたエネルギーが満ちていた。

続きを読む "【9】学院を卒業して25年が経つ。"

2009年6月 3日 (水)

【8】学院の変化@17期

17期生 山本 洸さん

学院の(あるいは学院生の)どんなところが変わったとか変わらないとか、またその是非についてなど、これまでのエッセイの中だけでもすでに何度か話題にあがっています。17期の僕から見ても、今の学院生とはもう10年も離れているわけですが、やはり「変わった」と思うところが多々あります。
ただそれはこの10年に限った話ではなく、たぶん僕の10年前の先輩方が僕たちの頃を見ても「変わったな」と思うのでしょうし、今の学院生が10年後の学院を見てもきっと同じことを思うのでしょう。

続きを読む "【8】学院の変化@17期"

2009年5月27日 (水)

【7】応援王国の中の早大本庄応援部

18期生 高田 温さん

埼玉県は応援文化が活発です。歴史ある高校が多いからでしょう。
「バンカラ」という表現が相応しい応援団が多数存在します。

中でも第一尋常中学校時代からの歴史を持つ浦和、川越、春日部、熊谷、不動岡、松山高校は応援エリート校で小生が学生の頃は憧れすら感じたものでした。(最も現在は各校とも人数は減ってしまったが。)
早大本庄応援部は私で第14代。歴史は18年の新しい応援部でした。
歴史が浅かった分「自分たちで歴史を作っていく!」と意気込んでいたのを覚えています。

埼玉県の有名どころの応援団、部は以下の様子。あくまで筆者の私見ですが・・・

続きを読む "【7】応援王国の中の早大本庄応援部"

2009年5月13日 (水)

【6】稲稜祭の想い出

3期生 上原 空也さん

私は3期生であるので、早大本庄を卒業してから20余年が経過する。

現在では、弁理士という天職を見つけ、知的財産に関する事件や企業のコンサルティングに全力投球をする日々であるが、学院時代は自分でもあきれるほど本当に怠け者であった。

「もう大学受験をしなくても早稲田大学に入れる。」という事実が確定した瞬間、いわゆる勉強をする気はその時点で完全に失せ、ひたすら眠り、授業中であろうがひたすら好きな作家の本を読み、そしてなぜだかひたすら「早く大人になりたい。」と願ったのを記憶している。

続きを読む "【6】稲稜祭の想い出"

2009年4月29日 (水)

【5】本庄食

9期生 貞末 真吾さん

ボクの本庄での学生生活は本当に平凡なもので、同級生が7人ほど集ったホームステイ白洗舎での生活が大部分でした。

アルバイトは禁止、麻雀は禁止、テレビの持ち込みも禁止、パチンコとお酒ももちろん禁止。
携帯電話やポケベル、インターネットもなかったボクの楽しみと言えば、当時流行していた浅香唯ちゃんのCDを聴くことと、ラブホテルを改装したカラオケ(名前は失念)にホームステイのメンバーで行くこと、外食ぐらいなものでした。

続きを読む "【5】本庄食"

2009年4月22日 (水)

【4】ホームステイ

4期生 原岡 修吾さん

私は1985年に第4期生として入学した。
25周年記念の際にいただいた資料を振り返ると、この年が最もホームステイ生が多かったのである。全校生徒約725名に対して572名がホームステイ生だったので約8割弱となる。
40あったホームステイの内30くらいは遊びに行っただろうか。また、自室にも数多くの友人を招いた。今回はそんな中で印象深かったホームステイについて回想をしたいと思う。

続きを読む "【4】ホームステイ"

2009年4月15日 (水)

【3】 変化を受け入れよう

11期生 S.R.さん

同窓と酒を飲むと必ず、早稲田本庄の話になる。学院生が大人しくなってしまったこと、ステイ生が激減していること、校歌や紺碧で盛り上がらないこと等など、心情的には寂しい内容の方が、話題に多くのぼる。言うまでもなく、共学化の影響が大きいのだろうと思う。

しかし、私は敢えて言う。共学化を嘆き、過去を懐かしむのはもうやめようではないか。少子化が止まらない以上、共学化は必然で不可避だった。
「俺が学院生だった頃の○○はこんなもんじゃなかったぜ。」こういうことを言うのは、老化現象以外の何ものでもない。

続きを読む "【3】 変化を受け入れよう"

2009年4月 8日 (水)

【2】そこはかとなく薫る

13期生 田留 晋吉さん

愛校心はあるにはあるのだが、早稲田大学至上主義かと問われれば、必ずしもそうとは言えない。世の中には、早稲田大学の他にも素晴らしい大学はあるし、良い環境で教育を受けてきた人はたくさんいる。
ところが、今までのところ、本庄高等学院より素晴らしいと思われる学校の話は聞いた事がないというのが実態である。高校時代の話をすると、聞いた人は一様に「そんな高校があるのか。」と驚きの表情を浮かべる。ある人は信じられないと言い、ある人はとても羨ましがったりもする。やはり、本庄は一般の高校のイメージからは大きくかけ離れているようだ。話をする私は、「そうでしょうか?」ととぼけつつも、内心はやはり、本庄は他と違った学校なのだと改めて認識する。

続きを読む "【2】そこはかとなく薫る"

2009年4月 1日 (水)

【1】最近の本庄キャンパス

こんにちは、第16期の佐藤です。4月から各担当がそれぞれ本庄に関するエッセイを書き綴っていくという企画が始まりました。第一弾として僕が「最近の本庄キャンパス」と題して書いてみたいと思います。

新幹線の駅新設、男女共学化にともなってキャンパス全体の風景が変わりました。また、高校の建物の場所を移転して新築するという話も聞きます。

変わっていくことは寂しいことですが、しょうがないことでもあり、僕らにできることはその歴史をちゃんと記録していくことなのかなとかと思ったりします。

ということで、2年前のホームカミングデーに言ったときに撮影した写真を元に、今、何が変わって何が変わっていないのかをお伝えしたいなと思います。

続きを読む "【1】最近の本庄キャンパス"